しらはぎ会フォーラム

「イスラムとは何か? 21世紀の国際社会」

 

講師:京都外国語大学教授 堀川 徹

その2

2.イスラムとは?
(1)イスラムとは唯一絶対神に服従することである。

なぜイスラム教徒に改宗する人がいるのかというならば、私は、教えがすごくわかりやすい、単純だということを挙げたいと思います。

イスラムとは何かというと、「イスラム」という言葉じたい、アラビア語で「服従」という意味から、唯一絶対である神に服従すること。それが「イスラム」の意味です。
なにしろ、絶対的な神、絶対神ですからね。なんら疑うことはないんです。だから、それに人間は従う。これがイスラムの教えです。
従ったら、やはり、「良いこと」があるわけです。「良いこと」がなかったら、誰も従わない(笑い)。
「良いこと」って何かと言いますと、ご褒美があるわけです。報酬があるんです。それは何かといえば、普通、教科書に書いてあるのは、来世における天国、楽園を約束してくれるんです。
イスラムでも、キリスト教と同じように、この世の終わり、世界の終わりがくるという考え方があります。その時に、最後の審判があり、そこで地獄へ行くか、楽園へ行けるかという審判が下されるわけですから、そのために、みんな楽園へ行けるように、生前に良い行いをしておこう、という考えです。神の意志に従った生活をしていけば、死後、楽園に行ける、ということです。
しかし、コーランを読みますと、死後の楽園だけじゃないんですよ、約束されているのは。この世における繁栄というものも約束されています。だから、イスラム教徒であるならば、この世においても「良いこと」があるのです。

ですから、イスラムの基本というのは、神様と人間ひとり一人が一対一で向きあっていて、それぞれ契約を結んでいる姿です。
平たく言ってしまうと「神様に服従します。ですから私に良い物をください、報酬をください」という関係です。つまり、イスラムの信仰の形というのは、イスラム教徒の数だけあるんです。全部、違うんです。個々の人間が、神様と心の中で結ばれるのですから、それは全部違うんです、条件が。
もしイスラム教徒の友達がいたら、非常に信仰深く、熱心に礼拝をし義務も守っているような人もいれば、我々とビールでも飲むような、イスラムではお酒はダメっていわれてるんですが、そんな人もいる。いろんな人に出会うと思うんです。
それぞれの人間が、それで自分が楽園に行けると思えばいいんですから。それこそ、他人の知ったことじゃないんですよ。100人いれば、100通りの神様のとらえ方があり、100パターンの信仰があるんです。
神さまは非常に厳しい方だから、キチッと義務を守らなくてはいけないと思う人は、そうすればいいし、神様は非常に寛容な方だから、少しぐらいはビールを飲んでもいいじゃないかと思う人は、それでいいんです(会場・笑い)。

そして、もう一つ重要なのは、イスラムでは「埋め合わせ」がきくんです。義務を怠ったり、何か悪いことをしたら、今度は良いことをして、埋め合わせるんです。よく天秤ばかりのたとえが出てくるんですが、「良いこと」と「悪いこと」が天秤ばかりにぶら下がっているんです。これを、全部、天使が記帳・記録している。だから、悪いことが増えて重くなったら、今度は、良いことを増やしてバランスをとる。このように、埋め合わせがきくんです。

 

(2)ムハンマドは預言者であり共同体のリーダーである。

そうすると、何か、いいかげんじゃないかと思われるかも知れませんが、じつはイスラムには、もう一つ、ルールがあるんです。

それが、ムハンマド。今、風刺画のことで話題になっている人ですけど、そのムハンマドに従うことです。彼は神の啓示を受け、610年頃ですが、神の声を聞いたと感じて、イスラムを説き始めます。 
ムハンマドは「神のお使い」であり、「神の言葉を預かる人」。イスラムでいう「預言者」とはそういう意味です。預言をするというのは、神の言葉を預かり、人々に伝えることです。つまり、ムハンマドは、神と人々の仲立ちをする人なんです。それと同時に、ムハンマドは自分に従う人たちを導いていくリーダーでもあった。

ムハンマドがイスラムを説き始めたのは西暦610年頃です。日本でいったら、だいたい聖徳太子の頃だと考えてください。
その当時は「何をバカなことを言っている」ということで迫害を受けています。ですから、彼の周りに集まってきた人を、彼は守ってやらなきゃいけない。
メッカという町で始めたんですが、そこを追い出されてしまうんですね。メディナという、アラビア半島の北の方に移って、そこを本拠地にして、だんだん信徒を集めて、メッカとの争いにも勝利をして、最終的には、アラビア半島全域にイスラムが広がったのが630年頃なんです。
ムハンマドは、非常に苦労をして、「イスラム」というものを広めているわけです。リーダーとしてのムハンマドは、確かに、神様と自分たちの仲立ちをしてくれる人だけど、それと同時に、自分たちの共同体、生活をする場をリードしてくれる人、指導者であるということです。
ムハンマドは、人間ではあるわけですが、神の言葉を聞ける、それだけの超能力をもっている人ですから、イスラム教徒は、ムハンマドに対する敬愛の情が深いわけです。

ムハンマドが632年に死んでしまいますので、その跡をついだのが「カリフ」、「後継者」という意味のアラビア語です。カリフは、預言者の部分はムハンマドで終わりましたから、リーダーの部分をついだ人です。
イスラムの共同体のリーダー、ムハンマドの跡をついで共同体のリーダーになった人です。
当初は、イスラム教徒は少ないですから、だいたい全員の顔が見える範囲だったのですが、だんだんイスラムが拡大していきます。そうすると、イスラム教徒が、一つの共同体を形成することは不可能になってくる。ところが、実態はなくなっても、理念としては、ずーっと生き続けました。今でも生きています。
イスラム教徒である以上は、イスラムの共同体に属している、そういう意識をみんなもっているわけです。その意味では、イスラム教徒同士の連帯感というのが、今でも、ずーっと、保持されていると考えていいと思います。

イスラム教徒になるには、まさに神を認め、神に従うと同時に、リーダー・ムハンマドが率いる共同体、そこに属してそこで生活をしますと誓う必要があります。イスラムの信仰には、そういう二つの側面があるわけです。

これは、イスラムの第一の義務である「信仰告白」に、含まれています。
「信仰告白」というのは「ラー・イラーハ・イッラッラー・ムハンマド・ラスールッラー」と言うんですけど、これは「神のほかに神なし」、そして「ムハンマドは神の使徒である」という意味で、「これを認めます」というのが、イスラム教徒になるための宣誓なんです。この二つのことを認めれば、イスラム教徒になれるんです。
もちろん、イスラム教徒の証人が二人いないといけないんですけど。
ですから、私は、イスラム教徒になれませんけど。
あまりうけませんでしたか(笑い)。

この「信仰告白」の中に、今まで述べてきた、イスラムの原理が全部含まれています。イスラム教徒になるということは、確かに、神に従い、その教えに従って生きていくということなんですけど、同時に、その神を信じている人々、その人々が集まっている社会の中で、自分も生活していきます、ということです。ですから、共同体のルールというものを守っていかなくてはいけない。

 

(3)イスラム社会はイスラム法によって律される。

それでは、イスラム社会のルールは何なのか? というと、これが「イスラム法」と言われるものです。ところがイスラム法というのは、六法全書のように条文が書いてあるようなものじゃありません。
法の根拠になっているものが、大きく二つあります。

一つがコーランです。
コーランは、ムハンマドが神の声を聞いてそれを人々に伝え、みんなが記憶していたものを後から集めて、一冊の本にしたんです。コーランというのは、イスラム教徒にとっては、神の声そのもの、神の言葉そのものなんです。ですから、これを変えることは、一切できない。それがコーランです。
神の声ですから、何かを判断する時の根拠になるものです。
コーランは、この世は終末が近いというような教義の話から、どんな義務を果たさなくてはいけないかというような話、それから、もめ事がおきた時にどういう風にして解決するかというような事まで、ことこまかに、例えば、相続をする時どういう割合で相続すべきかというような、非常に細かい数字まで載っています。さらには、エチケット。あまり偉そうな格好をして歩くな、というようなところまで、事細かに書かれています。
いろんなことに対する神の声が、アトランダムに書かれているのがコーランです。

もう一つ、イスラム教徒たちが、神の意志にかなっているかどうかを判断する根拠になるのが、ハディースと言われるものです。
これは、ムハンマドが生前に言ったり、行動で示したことが伝承されて伝わり、それを後世にまとめたものです。
ですから、まとめる人によって、いろんな種類のハディースがあります。その中で権威のあるハディースというものがいくつかあるんですが、そうしたハディースもイスラム教徒たちがいろいろな事を判断する時の根拠です。

それ以外にですね、例えばイスラム教徒が全員で、これはいいんじゃないかと合意したような事も、イスラム法として考えられます。
それから、いまある法から類推できるような事も、イスラム法と考えられます。

ですから、イスラム法には多少の幅があるのです。そして、法の一番の根拠になるのがコーランとハディースです。

そのコーランとハディースに基づいて、イスラム教徒には、いろんな義務が課されています。イスラム教徒として生きていくためには、どういう事を果たさなくてはいけないかということですね。
これを「六信五行」という風にまとめます。

「六信五行」の「六信」は「六つの事を信じなさい」という意味です。
もちろんこれは、基本中の基本です。
神、天使、預言者、聖典。これはコーランもそうですが、じつはイスラム教徒にとって聖書も聖典です。新約聖書・旧約聖書の両方とも聖典です。ユダヤ教徒やキリスト教徒にとっての聖典は、イスラム教徒にとっても聖典なんです。
それから、来世、定命(さだめ)です。
これら六つのことを、まず信じなさい、という事です。

それから、「五行」というのは、五つのやるべき義務ですが、それは、信仰告白、礼拝。スンナ派のイスラム教徒でしたら、一日五回礼拝するわけです。
それから、断食。これは、ラマダンというイスラム暦の九月に一ヶ月間します。お日様がでている間だけ断食するんです。夜の間は、じつは、パーティをするんです(笑い)。断食の間というのは、夜の間は普段よりもご馳走が出て、日が出ている間は断食しなければいけない。
イスラムは、太陰暦ですから、太陽暦に比べて一年が10日ほど短い。両者はどんどんずれていくわけです。ですから、夏の時期、断食にあたると厳しいんですよ。お日様の出ている時間が長いですからね。しかも、もっと厳しいのは、夜が短いことなんです。夜の間に、まず食べなきゃいけませんでしょ。寝て、また食べてなきゃいけない。だから、寝る時間が減っちゃうんですね。友人はこれが厳しいと言っていました。
それから、喜捨ですね。収入に応じて寄付を出すことが義務づけられているわけです。
そして、巡礼です。巡礼は、やれる人だけやればいいんです。ただメッカに行けばいいのではなく、決められた時にメッカに行って、そこで決められた儀式をするのが巡礼です。それでイスラム暦の十二月にあたる月に、メッカにイスラム教徒が集まってくるんです。

以上述べた「六信五行」が基本的な義務です。

そういった中で、イスラムの特徴というのは、これは、片倉もと子さんという方が書いていらっしゃるのですが、「人間性弱説」です。「人間は弱いものだ」という事です。
さきほど「埋め合わせができる」というお話をしましたよね。人間は弱いからなかなか義務を果たせないことがある。たとえば、礼拝に行けなければ、また別の時にすればいいんです。そういう風に、埋め合わせができるというのが、イスラムの特徴なんです。

中でも、なんといっても、一番弱いのは男である。
女性は強いんですね(笑い)。
男は弱い。とくに誘惑に弱い(会場・笑い)。
ただでさえ弱い者が、酒を飲んだら、もっと理性を失う。だから酒はダメ。そういう理屈なんです。
弱いから、美しいものを見ると、ついフラフラする。だから、女性は、美しいところを隠しなさい。と、いうことです。
みんな、弱いから。
最初から弱いということを前提にして、いろんなものが定められている。
男は弱いから、ついムラムラ、フラフラと悪い気を起こす。日本でも満員電車の中で痴漢行為なんかをする男がいるわけなんです。だから最近、女性専用車両が出てきましたよね。あれ、完全に、日本もイスラム化してます(会場・笑い)。
そう思いません。最初から予防するわけですから。
逆はないでしょう。男性専用車両は。ジェンダーの平等を説くのなら、そうでなきゃいけないわけです。そうじゃなくて、女性だけ隔離している。これは、もう、イスラムの考え方です。

ちょっと脱線しましたが、イスラムでは、女性というのは保護される対象なんです。弱い存在の者に対して、非常に手厚い保護ということが、イスラムでは定められているんです。

ムハンマド自身が孤児だったという事もあるんですけど、孤児であるとか、未亡人であるとか、そういった人には非常にやさしい世界です。障害をもっている人たちなどでも、それだけ神に近いのだということで、大事にされます。そういう社会です。

さきほど、喜捨という義務としてもお金を出さなくてはいけないと言いましたが、それだけではなく、自発的にどんどん寄付しなさいということを言われています。イスラム社会では、お金を儲けることは良いことです。どんどん儲けなさい、しかし、儲けたらそれを社会に還元しなさいということですね。
ですから、昔なら、お金を儲けた人が水道をひくとか、橋を造るとか、社会のインフラの整備にお金を出すわけです。もちろん一番の金持ちというのは支配者ですから、王様は一番お金を出すんです。これは政府の政策としてやるわけじゃないんです。個人の宗教的な喜捨行為として寄付をする。それによって、例えばモスクを建てたり、公共施設を建てたり、商店街をつくったりするんです。こういうことを、全部、寄付でやる。それがイスラム社会です。

ですから、イスラム社会というのは、自立しているんですね。日本のように、政府がやってくれないから悪い、そんなことは言わない。自分たちでやる。
そういう自立した社会なので、じつをいうと、イスラム社会には、あまり政府はいらないんです。
歴史的に見て、イスラム教徒が求めているのは何かというと、自分たちを敵から守ってくれる人たちだけです。それ以外は、自分たちだけでやっていける社会である、と言えるかと思います。

しかし、イスラムには、いろいろ問題があるんじゃないか。例えば、女性差別というのがあるんじゃないか、と言われるかもしれません。

今日は、とくに、しらはぎ会ですから、「女性差別」について少しお話をさせていただきます。
よく言われるのは、四人妻ですね。四人まで妻をもっていいということです。その通りです。イスラム法では、四人までということが決められてます。
それから、サウジアラビアでは、女性は運転免許を取れません。イスラム法では、女性は外出する時に保護される対象ですから、必ず男の人がエスコートしなくてはいけない。運転免許を許すと、自分一人で外出してしまう(笑い)。だからダメ。
相続法においても、男性の二分の一しか、女性には相続権がありません。証人になる時も、男性なら一人でいいところを、女性なら二人いなきゃいけない。つまり、半人前としてしか扱われない。そういうことがあります。
それから、離婚。離婚する時には、男性の方が一方的に離婚できます。三回「離婚する」と言えば、離婚できる。夫婦げんかのたびに、それで脅す人もいるようです(笑い)。
本当に三回言ってしまって「どうしましょう」と駆けこんでくる人もいたりして。でも本心でなければ、さっき言った埋め合わせの方法で、たとえば寄付や施しをしてチャラにすることができるわけです。

このように、確かに、女性差別という側面をイスラム法はもっています。

また後でお話しますが、現在のイスラム世界でイスラム法を適用している国として、主なところは、サウジアラビアとイランです。
サウジアラビアで女性は運転免許をとれないと言いましたが、四人の妻をもてるのかと言いますと、確かにイスラム法では可能なんですけど…。
イランの例ですが、二番目の奥さんと結婚しようとした時に、最初の奥さんの同意が必要です(笑い)。最初の奥さんが「良い」って言うのなら、いいんですよ。そうでなければダメ。だから、実質的には複数の妻はもてない。
向こうに行きますとね、やっぱり、奥さん何人いるかと聞かれるんですよ。
悔しいからね、最初は「まだ一人だ」と言っていたんです(会場・笑い)。
少し歳がいきますと「一人で十分」(会場・笑い)。
最近は違うんです。「一人でも多すぎる」(会場・大笑い)。
複数なんて、大変ですよね(笑い)。
日本でもありましたね。そういう事件が。何人でしたかね(笑い)。

ただし、イスラム法では、妻を平等に扱わなければいけない。もちろん、経済的な面とか、接し方にしても何もかもがそうです。
だから、大変な話なんですよ。
それができなかったらやめとけ、と、ちゃんと書いてあるんです。
イスラム(法)のルールは、確かに昔のままなんですが、現在の社会状況に合わせて、運用面において、いろいろな歯止めをかけているんですね。

つまり、イスラム法というのは、曲げることはできないんだけど、運用する時に、その時代、時代に合わせていく。そういう知恵を、じつは、持っています。

他には、たとえば相続法ですが、女性の相続権は確かに二分の一です。
ただし、結婚した時は、生活費は全部、夫もちなんです。
でも、イスラム法がまとめられた、(日本でいえば)飛鳥時代に、女性に相続権があったのですよ。二分の一とはいえ。
ですから、女性はみんな、自分の財産をもっているんです。その財産は、一切、結婚生活に使う必要がないんです。生活費は、全部、男が出さなくてはいけない。
今の時代は、共稼ぎなら、たいてい、奥さんの収入をあてにしますよね。
ダメなんですよ、やはり、男が全部出さないと(笑い)。

たとえば、向こうでは、とくに大学の先生は、女性がすごく多いんですよ。日本よりも多いんです。私がつきあっていた、二人とも大学教授のご夫婦の場合、奥さんは「自分が稼いだ分は、全部自分の事に使う、アパート代とか生活費は、全部、旦那さんが出している」と言ってましたよ。自分は、ぜんぜん、出さないそうです。
ですから、相続は二分の一でいい。そういう考え方です。

それから、結婚ですね。
離婚は、夫が、三回「離婚する」といえば離婚されてしまうわけですが、これも、やっぱり、妻を保護する制度があります。
これは、マハルと言うんですけど、結納金と考えていただければいいと思います。結婚する時に定めます。
じつは、これには、前払いの結納金と後払いの結納金というものがあります。前払いは、日本の結納金と同じですよね。ですから、結婚する時には、これを払う。後払いというのは、離婚する時にはいくら払うかを最初から決めておくものです。それを結婚契約書に書くんです。
普通、後払いの方が、前払いよりもずっと多いんです。だいたい、一年分ぐらいの収入と同じ金額になります。だから、めったに、離婚できないんです。
女性の方が離婚したかったら、それ(後払いの結納金)をいらない、って言えばいい。そうしたら、離婚できる。
もちろん、女性の方から申し立てるというのは、特別の場合以外はできないんですが、しかし、最近では協議離婚も多いようですね。
イスラム世界では、離婚がかなり多いです。
以上お話してきたことを通して言えるのは、イスラム世界では、女性は保護される者であるという考え方が貫かれている、ということです。
ですから、イスラム世界の女性というのは、私などからいわせると、鼻持ちならない人が多いと言いますか…(笑い)。
トルコなどでは、大学までくる女性というのは、非常に甘やかされているんですね。だから、とても、わがままな人が多かったですね。
シリアで経験した例ですけど、切符を買うのに、ずらーっと並んでいたんです、男どもが。そうしたら、乳母車を押した女性が、カッカッカと歩いてきて、一番前にヒョッと入って、パッと切符を買うんですよ(笑い)。
周りの男は、当然、という顔をしている。そういう世界です。

これらは、私が経験したことにすぎません。イスラム社会の全じゃありません。
私が経験しているのは、都会が多いです。都会と田舎の違い、とくに農村などでは、ずいぶん違います。農村では、女性に対して、教育も受けさせない、というようなことが、しばしばみられるようですね。もちろん、一概には言えませんけど。イスラム社会は、女性は保護される者であるという基本的な考え方の上にたってはいます。
しかし、イスラム法的には差別されている部分がある、ということは先に申し上げた通りです。

 

(4)イスラムには教会組織がない

さらに、イスラム社会の特徴として、教会組織がないことがあげられます。
キリスト教などでは、ローマ法王がいて、枢機卿がいて、教会組織があります。イスラムには、そういう組織がないんです。

でも、モスクがあるじゃないか、あれは何だ、とおっしゃるかもしれません。

モスクなどは、その地域の人々が、地域で運営しているんです。
モスクというのは、ただ、建物があるだけでそこは祈りの場でしかないです。決して「神の家」とか、そういうものではないんですね。

ですから、イスラム世界には、聖職者はおりません。

イスラム勢力は、歴史的に拡大していきます。
もともとは、アラビア半島から興るのですが、やがて地中海世界、さらにイベリア半島まで征服します。東の方は、中央アジアまで、一気に、アラブによって、イスラム世界は拡大をしていきます。
その後も、どんどん、どんどん、イスラム世界は拡大を続け、地図で見ていただいたように、現在、世界に広く分布をしています。

このように、イスラムは世界に広く拡大していくわけですが、その中で、イスラムの法の部分を担っていたのが、ウラマーとアラビア語で呼ばれる法学者です。

例えば、聖職者といいますと、イラクで人質問題が起こった時に、その仲介をしてくれた人がいましたね。それが、イラクの聖職者協会に属しているというように、日本では紹介されました。
あれは、違うんです。聖職者じゃなくて法学者なんです。
つまり、イスラム法、宗教法に詳しい人なんです。もちろん、コーランを全て暗唱していて、ハディースもほとんど覚えている。こうした、イスラム法に詳しい人たちが、イスラム社会で、非常に重要な働きをしているんです。

イスラム法について言えば「神のもとには完璧な法がある」というように考えられています。しかし、神は全部を人間に知らせたわけではない、その一部が、例えば、コーランという形で知らされている、と考えます。
ですから、人間の方は、神の法を推測しなければいけない。自分たちが得ているいろんな資料から、それを推量していかなければいけない。だから、イスラムにおいて、法学が非常に発達したわけです。今ある根拠をもとに、いろいろ解釈していく、解釈法が進んだわけです。

目の前に起きた事態をどう解決していくか、イスラム法でどう解決するかということを、法学者が中心になって考えるわけです。神のもとにはあるはずの「完璧なイスラム法」を推測し、こうであるべきだという事を決めていったのが法学者です。
つまり、法学者は、あくまでも「意見」としてものを言うわけです。「法意見」なんです。それにみんなが賛同したら、そういうようになる。こういう考え方ですね。
誰かが決定をしてそれにみんなが従う、という図式ではないんです。

ですから、今回のように、ムハンマドの風刺画を描いた漫画家を殺してしまえとか、賠償として金を100キロ出せとか、いろんな人がいろんな事を言うわけです。これらは、それぞれが、一つの「意見」なんですね。

古い話になりますが、『悪魔の詩(うた)』という本を日本で翻訳した方が殺されたことがありました。この事件、未だに真相はわからないんです。わからないんですが、誰かが「あれは死に値する」というような事を言って、それに賛同した誰かが行動するというような事はあり得るんです。それがイスラム世界です。

だから、イスラム世界では、法学者という人が、非常に重要な役割を果たしています。社会のリーダーであり、さらにイスラム世界のオピニオンリーダーでもあるんです。
そういった人たちの考え方に、みんなが賛同して成立するのがイスラム法です。
しかし「イスラム教徒みんなが賛同する」というのは、実際には無理ですよね。ですから、主だった法学者みんなが賛同すれば、それがイスラムの正しい法だということになっていくんですね。

イスラム法学者の役割は、大きいわけです。しかしながら、彼らは、聖職者ではないんです。
出家はしないんです。常に、在家なんです。
法学者であると同時に、自分も仕事をもっている、というのが普通です。

これは、じつは、スーフィズムでもいっしょです。
スーフィズムというのは、預言者の時代にはなかった思想運動で、9世紀ぐらいから起こってくるんですが、イスラムの信仰の部分を非常に強調した運動なのです。

イスラム法が確立してきますと、人間は、どうしても、「法を守っていればいいや」ということになってしまいます。そうなると、肝心要の、神様と一対一で向かい合っている自分の信仰心というものが、どうしても、おろそかになる。それではいけないんじゃないか、もっと神のことを深く信仰しなくてはいけないんじゃないか、ということで起こってきたのがスーフィズムです。

スーフィズムにおいては、厳しい修行をして自我を消滅させる。それによって、ひたすら神のことを念じて、自分と神との精神的な一体感を求めることを目的とします。一言で言ってしまうと。
そこで、そういった境地に達した人、これは常人にはできませんから、その人は人々からたいそう尊敬を受けるということになるわけです。
また彼らは、神と一体感を持つことができるといった人達ですから、当然、来世においては天国・楽園へ行ける人ですよね。特に亡くなった後は、神のすぐそばにいる、と考えられますから、彼らにお願いをしようとみんなが考えるのも、当然です。
その窓口になっているのが、スーフィー達が葬られた場所、お墓なんです。
お墓に行って、偉いスーフィーに来世のことも、この世のこともお願いをする、神様に取り次いでくださいというお願いをしていくことになるわけです。
だんだん「取り次いでください」じゃなくて、そのスーフィーそのものを崇拝する傾向が起こってくるわけです。
これを「聖者崇拝」と言います。

これは、普通の庶民にとっては、非常にわかりやすいんです。
我々だってそうですよね。何かお願いしたい時は、神社へ行ってパンパンと拝んで(笑い)。たとえば、病気が治りますように…なんて。庶民としては、やりやすいですよね、お願いする神様の形
14学者と呼べるような人物もたくさんいたわけで、イスラムに詳しい人々が商人として世界中に出かけていってイスラムを伝播するということも、歴史的に見られたのです。

 

(5)イスラム文明は先進文明を継承・発展させてた。

「イスラム文明は先進文明を継承し発展させた」と書きましたが、イスラム文明が発展していった地域というのは、それ以前にローマ帝国とか、東の方はササン朝のペルシャが支配していた地域です。文明の先進地帯だったわけです。
それらの地域で伝えられていた文明、例えば、ギリシャの文明などは、ギリシャ語をベースにして地中海世界に広がっているわけですが、そういったものを、イスラムは全部取り込んでいきます。
とくに9世紀になると、バグダードに「知恵の館」という、翻訳を中心に行う学術施設を作って、盛んにギリシャ語のすぐれた学術書をアラビア語に翻訳するんです。徹底的に翻訳をします。そして、それらを基礎にして、スイラム世界では、自分たちの学問を発展させていったのです。
イスラムの文明というのは、そういった先進文明を受け入れ、そして、それを発展させた文明です。
それが、地中海を経て、ヨーロッパにも伝えられていくわけです。ですから、ヨーロッパに伝えられていった証として、アラビア語起源の言葉というのがいっぱいある。
例えば、英語でいいますと、alがついているのはみんなそうだといえます。alというのは、アラビア語の冠詞なんですよ。例えば「アルカイダ」のアルも冠詞なんです。アルカリとか、アルコールとか、アルのついているのはアラビア語起源です。
ほかにも、ケーブルはアラビア語起源で「ハブル(綱)」からきています。ソファーもそうです。あれは「スッファ(棚)」から出ています。それからアドミラル。海軍提督なんかもそうです。キャンディーもそうです。「カンディ」というアラビア語起源ですが、砂糖汁の意味なんです。砂糖汁を固めたのがキャンディーですよね。でも「カンディ」も元をたどれば、インド語です。インド地域でサトウキビが栽培され、それがイスラム地域に入ってきて、それがまたヨーロッパに入っていったということです。
つまり、言葉が入っているということは、その実態が入っているということです。ですから、化学用語が入っているということは、化学がイスラム世界からヨーロッパへ伝わったということですね。あるいは、作物が伝わっていったという証になるわけです。

それを大々的にやったのが「12世紀ルネッサンス」です。
12世紀を中心に、イベリア半島で、こちらでも翻訳を盛んにやったんです。
この時代になると、キリスト教勢力がずっと南に押し出してきます。トレドという、ちょうどマドリードの南にある町ですが、そのトレドを中心に翻訳活動を盛んにします。アラビア語からラテン語への翻訳がなされ、もともとギリシャ語が書かれていたようなものも含め、多数のアラブの学問、ギリシャの学問の精華がラテン語に翻訳され、それが元になって、ヨーロッパの学問の枠組みができていく。それが将来的には、産業革命に繋がっていくわけです。
たとえば、コペルニクスの地動説でも、天動説がなかったら地動説は出てこないわけですよ。天動説は、翻訳によって、ヨーロッパのものになった。それを批判的に消化していく中で、地動説が生まれ、近代の学問が築かれていったわけです。
そういった意味では、近代ヨーロッパ文明にとって、イスラム文明は、言うなれば「親の文明」であるということになるわけです。
しかし、親の文明であったはずのイスラムが、現状を見ると、ヨーロッパの風下に置かれている。とくに19世紀には、ヨーロッパ列強によってイスラム世界が植民地化されていくことになるのです。
それまで、イスラム世界がヨーロッパを、キリスト教世界を侵略する、そういった形であったものが、逆転するのがいつ頃からかというと、だいたい17世紀の末ぐらいです。

それ以前、例えば1453年にオスマン帝国がコンスタンティノープルを征服します。それから後、オスマン帝国は、バルカン半島をずーっと北上してハンガリーまで支配下に入れます。1529年には、ウィーンまで包囲する。
というように、ヨーロッパはオスマン帝国、これはイスラム国家ですが、その脅威に怯えていた時代があったわけです。
ところが、それをやっつけようということで、ヨーロッパは一致団結して、とくに軍事力の増強に励んだんです。ついに力関係が逆転したのが、だいたい17世紀の末です。それ以降は、どんどん、どんどん、ヨーロッパ側が力を増していき、19世紀にはヨーロッパが覇者になる時代になっていったわけです。

そういった時に、イスラム世界の人々は、なぜ自分たちがヨーロッパに負けるのかという反省をしたわけです。その結論として、大きく二つの方向性が出てました。
一つは、ヨーロッパは、やはり、優れたものを持っている、だから、自分たちもヨーロッパから学ぼう、という姿勢です。
とくに、軍事力で負けていますから、軍隊の改革とか、武器の開発とか、そういったものをヨーロッパから学ぼうとしていったのが、現在のトルコにつながるオスマン帝国だったのです。
ですから、オスマン帝国は、皇帝(スルタン)の指導のもとに、18世紀の末ぐらいから、盛んに西欧化政策をとっていきます。西欧化政策を進めていく中で、20世紀にはいるとトルコ革命が起こり、現在のトルコに繋がるわけです。
トルコは、ほとんどすべての国民がイスラム教徒です。しかしながら、トルコでは、イスラム法というものを一切使っていない。全部、ヨーロッパ法を使っています。完全に政教を分離した。そういう国を、「世俗国家」と我々は言います。

もう一つの方向としては、ヨーロッパに負けるのは、ヨーロッパが良いんじゃなくて、我々が悪いんだ、そう思った連中です。
なぜ悪いか。昔は良かったじゃないか。昔は、イベリア半島まで征服したような時代があった。
つまり、最初の頃、預言者の頃は、イスラムは純粋だったから非常に大きな力を持っていた。ところがその後に、いろんな余分なものがくっついてきて、それによってイスラムの力を削いでしまった。こういう風に考えた人たちがいるんです。
その「余分なもの」の中で一番悪いのは、スーフィズムです。
スーフィズムは、多神教的な部分をもっていたという事は、すでにお話しました。
だから、そういったものを否定して、純粋なイスラムに戻ろう、元に戻ろうと考えた人たちがいたわけです。これが、俗に、「イスラム原理主義」といっている一つの方向性なんですね。
もっともこれは、イスラム主義、イスラム復興運動といった方が適切だと思います。

その1へ