しらはぎ会フォーラム

「イスラムとは何か? 21世紀の国際社会」

 

講師:京都外国語大学教授 堀川 徹

その3

3.国際社会とイスラム
(1)イスラム主義(イスラム復興運動)は自己批判から生まれた。

イスラム主義は、このように、自己批判から生まれたのです。その目指すところは、イスラム法に基づいたイスラム国家を作っていこう、という方向です。
そういった運動で最初に成功したのが、ワッハーブ派という運動です。これは、アラビア半島の中央部から起こった運動です。18世紀に起こりまして、その地域の土豪、地域の有力者でありますが、サウド家という豪族の支持を得て、力をもちます。そして、周辺の勢力を従えて、20世紀に入ってからですが、最終的には国家を作っていきます。
つまり、イブン・サウド家のアラビア、サウジアラビアなんですね。ですから、サウジアラビアは、このワッハーブ派の運動から生まれた国家なんです。
アラビア半島の、言ってみれば、砂漠の真ん中でそんなことが起こったとしても、世界中、ヨーロッパ列強も、全然、関心がなかったんです。ところが、一挙に、ここが関心をもたれるようになった。
なぜか。
石油が出たんですね。
ですから、サウジアラビアというのは、今、国際社会の中で非常に重要な意味をもっていますけれど、じつはサウジアラビアこそ、元祖原理主義国家なんです。でも、アメリカの同盟国なんですよ(笑い)。
ですから、サウジアラビアは、イスラム法によって、今、全てを運営しているんです。

それから、イラン。イスラム革命によって、こちらもイスラム国家になりました。ですから、この二つの国はイスラム法を施行しています。

 

(2)真のイスラム主義者は同時多発テロを実行できない。

こういったイスラム主義、あるいはその運動・傾向は、今、世界で広まってきているのですが、しかしながら、イスラム主義者、カッコつきのイスラム原理主義者であるのならば、彼らはイスラム法に基づいた社会を作っていかなくてはいけない、国を作っていかなければいけないと思っている人たちですから、イスラム法に反するようなことは絶対にできないわけですね。
もし、真のイスラム主義者であるならば、9.11のような同時多発テロというのは、絶対に起こせないはずなんです。
なぜならば、無差別殺人というのは、完全な「犯罪」です。もちろん、イスラム法でも、犯罪なんです。
それから、自爆ということも、じつは、イスラム法に照らしたら、これは「
いけないこと」です。それから、あの同時多発テロでは、たくさんのイスラム教徒も死んでいますよね。同胞を殺すなんて、とんでもない話です。
そんなことをとやかく言う前に、完全な「犯罪」なんです。
だから、それを起こすということは、真のイスラム教徒であるのならば、できないはずです。イスラム主義者であるのならば、なおさらできないはずです。

では、なぜ起きているのか。
そこには、理論のすり替えがあるわけです。じつは、イスラムの考え方では、ジハード(聖戦)という考えがあります。
ジハードは、もともとは、自分の心の中の戦いです。いろいろ悪しき心と戦って、自分は正しく生きていく。これが、一番大事な「ジハード」なんですが、それと同時に、イスラム世界が、あるいはイスラム教徒が敵から攻撃をうけた時、侵略を受けた時には、断固、それと戦ってそれを阻止しなくてはいけない、こういう考え方があります。これを「防衛ジハード」といい、防衛のためのジハードです。
これは、イスラム教徒の義務なんです。ですから、そういう事態になった時は、実際に武器をもって立ち上がるだけじゃなくて、抗議文書を書いて貢献してもいい、お金を出すことでもいい、なにしろ、なんらかの方法でそれに立ち向かうことが、イスラム教徒の義務なんです。
ですから、アフガニスタンをソ連が攻撃した時には、世界中のイスラム教徒が志願兵として、たくさんアフガニスタンへ行ったのです。そして、多くのイスラム教徒が武器やお金を援助したのです。
ビン・ラーディンという人は、サウジアラビアの財閥の子どもですけど、そういった事で援助する。じつは、アメリカも援助した。
それで、最終的にはソ連が撤退することになりましたが、志願兵としてそこに行った人たちが、戦争が終わった時に、帰る場所がなくなってしまい、後に起こったアフガニスタンの内戦に参加することになったのです。あるいは、ターリバンというような勢力に結集するというような事が起こってきたわけです。このように、防衛ジハードの原理というものが、イスラム世界にはあるわけです。

もう一つ、「拡大ジハード」といわれるものがあります。これは、たとえば、イスラムの初期に、西はイベリア半島から東はインダス川流域まで、ずっと征服活動をしていったんですね。それが拡大ジハードです。これは、決して、攻められたからそれを防衛したわけじゃないんです。
この拡大ジハードというのは、指導者がいなければできない、と言う考え方がイスラム世界にはあります。指導者とは何か、といえば、カリフです。
カリフが指導することによって、拡大ジハードというのは成立する。しかしながら、このカリフというのが、今、イスラム世界にはいません。
オスマン帝国のスルタン(皇帝)がカリフという風に、全世界のイスラム教徒から認められていたわけですが、トルコ革命の中、1924年にカリフ制も廃止されました。それ以来、世界中で、イスラム教徒たちが認めるカリフという存在はありません。ですから、拡大ジハードはできない、というのが、イスラム法的な解釈であるわけです。

アメリカを攻撃するのは、スイラム法的に解釈すれば、拡大ジハードにあたると思いますけれど、しかしながら、イスラム教徒が被害を受けているのだから、その元凶を断つのは当然だ、という理屈も、一部ではあるわけです。
つまり、防衛ジハードの論理でそれを説く人々もいる、ということです。

それに共鳴する、あるいはそれにのっかって、「テロ」を行う、命を落とす若者もいるという時代であるわけです。

 

(3)パレスチナ問題が解決しない限りテロは終わらない。

俗に、「自爆テロ」と言われるような事件が後を絶たないわけですが、非常に痛ましいことです。つまり、どう見ても、私に言わせれば、あれはイスラム法にかなっていないことなんですが、それを、かなっているんだ、自爆すれば天国・楽園へ行けるのだと説く連中がいて、それに呼応する若者がいるということですね。
しかし、よくよく考えてみますと、そういった「テロ」というのは、おそらく、今の世界情勢が変わらない限り、なくならないだろうと思います。

そこに「パレスチナ問題が解決しない限り」と書きましたが、パレスチナ問題というのは、一つの例です。
パレスチナだけじゃなくて、アフガニスタンの問題、イラクの現在の問題もあるわけです。そのような所において、アメリカが「正義」と称して行っているようなこと、これがきわめて不公平な行為であるということを、客観的に見てもそうですし、とくにイスラム教徒たちはそう感じているというところに、やはり、一番の問題点があるというように、私には思えます。

パレスチナ問題をたとえにとって言うならば、アメリカはパレスチナ問題に対応する時には、完全にダブルスタンダードをとっていますね。
つまり、イスラエルに対する時と、パレスチナのイスラム教徒に対する時は、スタンスが全然違うわけです。
これは、はっきり、アメリカの政治的な構造にあるわけです。
つまり、アメリカの「ユダヤロビー」と言われる、アメリカ国内におけるユダヤ教徒たちの圧力が非常に強いわけですから、それに反するような政策というものは、今のアメリカは非常にとりにくい。
そういう情況の中で、アメリカは常にイスラエル寄りの行動をとる。たとえば、イスラエルに関するたくさんの国連決議が起こっても、決議されてもイスラエルはそれを完全に無視しています。たとえば、第三次中東戦争の占領地からずっと撤退しないでいる。国連の決議違反をしているわけです。ところが、それに対して、それを放置していながら、たとえば湾岸戦争の時にサダム・フセインがクウェートを侵略した時、もちろん、それは悪いのですが、その時に国連決議が出た。そうしたら、アメリカはそれにのって、即座にイラクを攻撃したわけです。

「おかしいじゃないか」というのが、サダム・フセインの理屈なんですね。パレスチナの問題をほっておいて、自分たちだけを悪者にするな、と言ったのが彼です。
確かに、そういった側面をもっているんですね、アメリカは。つねに、ダブルスタンダードなんです。
安全保障理事会で、イスラエルがらみで、何度アメリカが拒否権を発動したかということですね。全部、アメリカが押さえているんです。
そういう情況がある限り、イスラム教徒たちは、自分たちが常に不公平な立場に置かれていると感じざるを得ないわけです。

しかも、彼らは、そういった国際社会の中において、不公平な立場に置かれていると感じる以上に、自分たちの国においても、不公平というものが常に行われていると考えているわけです。
中東世界、イスラム世界を見ておわかりのように、独裁とか、独裁とまではいかないけれど、いわゆる民主主義というものが未成熟だと、皆さんお感じになることが多いと思うんです。
たとえば、最近起こったエジプトの選挙にしても、ムバラクという大統領がずーっと居座っていますが、あれは、完全に、自分に有利になるような選挙体制で選挙をやっているわけですよ。だから、自分が勝つに決まっているんです。そういうことが、まかり通っている世界なんですね。
だから、自分たち国民は、国内においても、国際社会においても、不公平な立場におかれている、そういう風に思う人が多いわけです。一部の人間だけが、利益を自分のものにしている。

イスラム世界では、いわゆる社会主義のように、平等という考え方はないです。神の前においては平等ですが、それ以外のところでは、立場としては平等だけど、才覚のある人間は才覚をもって、お金を稼げるのなら稼げばいいし、いろいろな仕事ができるのなら仕事をしたらいいんです。
ところが、そうなんだけど、不正なことをして自分だけがいい思いをして、他の人にその分け前を与えないというのは、これは一番悪いことなんですね。そういった不正が、現実問題として、実際に行われていると感じるイスラム教徒が、非常に多いんです。
「二重の不公平感」というのは、そういった意味です。
国内においても、国際的にも、我々は不公平な立場に置かれている、こう考える人が非常に多い。これが、今のイスラム世界ではないかと思います。

それから、イスラム世界から、たとえば、欧米に移住した人たちの問題も、取り上げねばならないでしょう。
ヨーロッパを例にとるのならば、ヨーロッパには、たくさんのイスラム教徒が移住しています。最近でも、パリの郊外で、イスラム教徒たちを中心にした、イスラム教徒だけじゃないんですけど、そういう人たちによる暴動が起こりましたよね。その前は、リースという、イギリスの町にパキスタンから移住した人たちが、ロンドンの地下鉄や、バスの爆破など、同時テロをやりました。そういった事が起こってきています。
それは、なぜかというならば、やはり、ヨーロッパなどに移住した人たち、移民社会の中において、非常に失業率が高い、学歴があってもそれを正当に評価してもらえない、そういった苛立ち、閉塞感が高じていることが原因と言えるわけです。
ですから、そういった情況が、これからもずっと続くということになるならば、さらに、世界は、「不安定な要素」を加えていくことになるんじゃないか、という風に私は思います。

そして、最後に「テロリストの道は自宅のテレビから」と書きましたのは、自分たち、あるいはイスラム教徒全体が、非常に不公平な状態に置かれていると感じることを意味します。たとえば、イラクの戦争を取り上げるのならば、アメリカ兵が2000人戦死しましたけれど、しかしながら、イラクの人たちは何万人死んだのかという話になるわけです。
アメリカ軍の爆撃によって、命を失った人の映像がテレビで流れるわけですよ。日本にいても、戦争の悲惨な情況は流れてくるわけですから、イスラム世界においては、なおいっそう、そういった悲惨な場面に出くわす場合が多いわけです。
そうなりますと、テレビを見ていて、なんと自分たちは虐待されているのか、あるいは、仲間が虐殺されているのか、と思う若者の中に、それに代わる何か、それに対抗する何かをしたいと思う人がたくさん出てくる可能性は、これは、無限にある、と言ってもいいかもしれません。
そういった意味では、非常に危機的な状況にある。いわゆる「テロの環境」というのは、全然好転していない、これからも悪化する可能性が高い、ということが言えるのではないかと思います。ある意味で、悲惨な話なんです。なぜなら、彼らは、それ以外に取る手段がないという状況に、追い込まれていると言えるからです。

よく、テロは貧困が原因だというように言われますが、これはウソです。貧困が原因じゃないです。本当に貧困にあえいでいるような人は、テロの計画とか実行はできないし、実際に、していない。
ほとんどがインテリなんです。教育を受けた人。つまり、教育を受けた人たちが、自分たちはこれだけの能力がありながら、これだけの力がありながら、それを発揮する場がない、そういった不満が一番大きな理由だろうと、私は思います。

 

(4)イスラムは国際社会の敵なのか?

このように、言ってみれば、否定的な話をしてくると、イスラムというのは国際社会の敵だということになるかと思いますけれども。
根本的な理屈を申しますと、イスラム法・イスラムの考え方というのは、欧米型の民主主義と相容れないものを持っています。
何かと言いますと、民主主義の大前提は、権利の「相対化」なんです。あるいは、価値観の相対化。つまり、すべての人が同じ価値をもっている、一人ひとりの意見は全部平等、同じ価値があるということが前提になるわけです。だから、多数決というものが成立するわけですよね。
ところが、イスラム世界は違うんです。絶対的な「神」という存在があるんです。神にかかわる部分というのは、犯しがたい部分があるんです。同じ意見を述べても、神を否定するような意見は、最初から意見にならないんですよ。つまり、価値というのは、相対化していない。絶対的価値があるからです。そこの部分においては、いわゆる欧米型の民主主義というのは、イスラムの考え方と抵触してしまう、ということがあります。
つまり、言論は、自由じゃない。やはり、慎むべき所はあるんですね。これが、イスラム世界です。
だから、今度の風刺画の問題も、そこが一番の根本なんです。

確かに、価値観は、完全には相対化できないんですけれども、しかしながら、イスラムの考え方の中には、みんなで協議をしよう、シューラー(協議)という考え方があります。
ですから、いわゆる、民主主義的な議論によって物事を決めていきなさいという考え方が、じつは、もう、コーランの中に見られるんです。

イスラムというのは政教の分離が非常に難しい。
キリスト教世界は、この政教分離をしたんですね。市民革命によって、教会は教会のことをやってください、自分たちの政治は自分たちの考えでやりましょうということで、完全に政教分離したんです。宗教のことは教会法でやって、世俗的なことは自分たちで世俗法を作って、それによって運営していく。これが近代ヨーロッパの形なんですね。
ところが、イスラム世界は違うんです。全部、イスラム法の中で解釈してきた、そして、すべてをイスラム法に合わせてきたんです、時代によって。

今、私が一番研究しているのは、19世紀末から20世紀初頭に中央アジアで書かれた古文書です。そういう文書群の分析から当時のイスラム社会の情景を掘り起こせないかなぁと思ってやっているんです。
1992年に中央アジアに行った時に、1700点ほどの文書の山を買わないかと言われ、買ったんです。それを向こうの研究所に全部寄付して、向こうの先生と共同で研究しているんですが、その1700点のうちの、だいたい三分の一の文書が合法売買文書という種類の文書なんです。
それは何かといいますと、こういう文書です。わかりやすく言いますと、私が土地を持っているとしますね。私が高木さんにこの土地を100万で売るんですよ。そうすると、100万が私に入りますよね。100万返したらその土地を返してもらえると約束しておくんですが、100万もらったそのとたんに、一年間15万払いますからその土地を貸してくださいと言って、その土地を借りるんです。
わかります?
実質的に、これ、何ですか。
利息15万払って100万借りていることなんです。実際にはそうなんですね。
ところがイスラム法では、利息をとって金を貸してはいけないんです。イスラム法で禁じられています。しかし、そんなことしてたら、絶対、世の中はまわっていきませんよ。だから、利息とって金を貸すと罪になるけど、金の貸し借りはイスラム世界でも行われているんです。しかし、それは、イスラム法の中でやらなきゃいけない。ということで、売買と賃貸を組み合わせ合法化しているわけですよ。私が見ている文書の三分の一がそういう文書です。

今15万といいましたが、だいたいそんなものです。年利が15%なんです。そうした文書が三分の一ですよ。コレクションの性質があるからわかんないので、三分の一が当時発行された文書の割合そのものではありませんが、世の中でそういったやり方が、普通に行われていた証ではある。
ですから、利息をとってお金を貸すということが、イスラム世界で行われていたことは間違いない。行われてはいるけれども、イスラム法に抵触する。だから、イスラム法に合わす形にして、それを実施しているんですね。
ずるいと思われるかもしれませんが(笑い)、そういう世界なんです。
ぜーんぶ、イスラム法の中で解決しようと思うんです。だから、政教分離というのは、非常に難しい世界なんですね。神の存在を否定するようなことは、最初っから論外なんです。

しかしながら、それは、前提としてあっていいじゃないか、でも、人間に関わる部分はなるべく民主的に解決していこうという考え方が、言ってみれば「イスラム型の民主主義」ですかね、そういったものが育っていく可能性とは、あると思います。
じつは、イスラム主義者の中でも、近代の社会とイスラムとをなんとか調和させていこうという考え方が、ずっとあるんです。

どこの世界の人でも、自分たちが不公平な立場に置かれているのはイヤですよね。イスラム教徒だってそうなんです。だから民主主義がいいに決まっているんです。そういった方向へ進んでいく可能性、期待というものはあるんじゃないかと、そう思います。

 

むすび ハマスの選挙戦勝利が示すもの

国際社会におけるイスラム世界の地位というものを、如実に象徴しているのが、じつは、パレスチナの総選挙において、ハマスが圧勝したという出来事だと思います。
今度の風刺画の事件も、イスラム社会というのを欧米でどう見てるかという、一つの、象徴的出来事であるように思うんですけれども、その裏返しがハマスの勝利だと思います。風刺画事件の方は、あまりにも編集者がイスラムに対して無知であった事をさらけだしてしまった。その程度の認識しかない、ってことでよね。
ハマスの勝利は、それに対するイスラム教徒側の答だとも言えるんではないかと思うんです。自分たちが、こんなに不公平な立場に立たされていると思っているイスラム教徒たちの中で、それに対して毅然として立ち上がったのがハマスなんです。パレスチナではアラファトに率いられたPLOがイスラエルとの和平を進めてきた。
ところが、その過程で、常に、パレスチナ側は妥協に妥協をかさねて、じつに不利な立場におかれてしまった。そうした妥協を否定して、断固立ち向かう、こう言っているのがハマスです。
ハマスがとっているのは、イスラエルを認めないというスタンスです。イスラム教徒にとってみれば、当然ですけれども、イスラエルというのは、自分たちが住んでいる土地に外からやってきた連中が、そこに作ってしまった国ってわけです。完全に「侵略された」と思っている。これは、当然といえば、当然ですよね。
それを「追い出す」というのは、まさに、先ほど言ったジハードの論理なんです。それを実行しようとしているのがハマスです。
実際には、できないんです。圧倒的な軍事力の差というのは歴然としていますから。そんなことは、成功はしないんですけど、それをしている。
それが、やっぱり、人々に支持される大きな理由だと思います。

もう一つ、ハマスというのは、エジプトで興ったムスリム同胞団というのがあって、20世紀の始めなんですが、その流れをくんでいるんです。
ムスリム同胞団は、どういう考え方をしているかと言いますと、まさにイスラム主義なんですけども、その中で、イスラムの福祉の部分、これを非常に重要視した運動を展開してきたんです。病院を作ったり、学校を作ったり、工場を作って失業者を吸収するとか、そういったことです。それから、弱者に対するいろんな保護ですね。そういったことを、ずーっと、続けてきた。それがムスリム同胞団です。エジプトでは、まだ合法化されてないんですけど。
そういった運動から分かれたのが、ハマスです。
ですから、ハマスは、一方で武装闘争というようなことを言っているんですが、一方では非常にきめ細かい福祉活動をしているんです。まさに、イスラムが教える、そういう活動を全面的にやっているのが、ハマスですね。
ハマスは、イスラム世界、とくにパレスチナの人々にとってみれば、イスラムの教えを忠実に守ってやっている、そういうグループなんです。だから、支持を得た、と言えます。
不当な扱いを受けていると思っている人々が、自分たちの答として出したのが、ハマスの勝利であったというのが、私は、あるんじゃないかと思います。

アメリカは、世界戦略の中で、どうしても中東を自分たちの方へ引っ張り込んで、これを放したくないと考えています。
これはもう、アメリカの命題です。
なぜか。
それは、石油戦略です。
アメリカにとって、これからの世界において、自分たちのライバルになるのは、明らかに中国ですよね。中国を考えているんです。その中国にとって一番のネックは何か。エネルギー問題です。
最近、原油価格が上がったのは、中国の石油消費量が一挙に増大したからですね。ですから、そこに一番のネックがある。
中東は、アメリカにとって、絶対に手放せない戦略拠点なんです。アメリカ自身は、中東にそれほど、石油を依存してないんですね。しかし、やはり、中東を押さえたいというのは、今言ったように、中国対策が一番大きな理由だと私は思います。
だからこそ、アメリカは、中ますけれど、どうしても、摩擦が生じることになると思います。

これからの世界情勢は、決して楽観できな

東において、自分たち流の民主主義の確立を求めているわけです。そこで、先ほどの話に戻りいものがあると思います。
そうした中で、我々は、イスラムとは何かということを、まずは理解しておく必要があるのではないでしょうか。

ご静聴、ありがとうございました。

 

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