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旧暦6月1日は氷室の節句。近年発掘された長屋王邸木簡群の中に氷という文字が見つかったことから、古代の王族貴族が暑い夏にオン・ザ・ロックで清酒(須弥酒)を飲んでいたと話題を呼びました。彼らは奈良県都祁(つげ)村などの寒い山奥に冬の天然の氷を貯蔵するための氷室を作りました。氷室は氷室守りが管理して暑い夏の間、氷を朝廷や貴族に届けていたのです。特に長屋王は専用の氷室を持っていました。長屋王とは奈良時代初期の宰相で天武天皇の孫に当たる方です。長屋王邸は平城京の南東100mの地に4万㎡の邸宅があり、その遺跡から5万点の木簡が出土しました。発掘は1986年(昭和61年)から4年の歳月をかけて3万㎡を掘ったと記されています。そして木簡の水洗いや継ぎ合わせなど、その後も遺物の整理と研究は続けられています。
この調査の中で明らかになった長屋王の食生活は山海の珍味を日本中から取り寄せた豪華なもので、日本史上最たる美食家であったと思われます。まず鮑に始まり鯛、海老、うに、なまこ、鰹、鯖、ほや、わかめ、鮎、鹿肉、鴨肉、山芋、柿、栗、梨、桃、瓜、茄子、橘と、とどまることを知らないと記されています。その上彼らは牛乳を飲み、シシと称して豚を飼い、その肉を食していました。牛乳を煮つめた「蘇」という古代チーズも有名です。さらに「蘇」を煮つめたものは「醍醐」と呼ばれる極上の食べ物で、私達が使う醍醐味という言葉の由来です。
さて江戸時代に入ると6月1日に氷室の戸を開く儀式が行われるようになりました。この日は群臣にも氷が与えられ、氷を口にすると夏バテを防ぐと言われました。それがかなわない庶民は氷にかたどった小豆入りの菓子を水無月と称して食べる習わしが生まれました。
現在も6月には菓子にも料理にも使われるものです。水無月という銘の菓子は小豆入りのウイロなどで、氷のかけらの形、三角形に作ります。
京都では6月30日(*夏越しの祓え)に食べる習わしがあります。料理の水無月は胡麻豆腐に小豆を入れて固め三角形に切ったもので氷室豆腐とか水無月胡麻豆腐といい、向付や椀だねにします。第8回の普茶料理の中で胡麻豆腐の分量や作り方を書きましたので、それを参照して小豆をふっくりとつぶれないように煮て、練り上った胡麻豆腐の中に混ぜ入れて冷やして固め、三角形に切って下さい。写真を掲載しました。
今回は胡麻豆腐で使ったものと同じ吉野葛を使って、つるんと冷たい「葛饅頭」を椀盛にしてみました。 |
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葛饅頭、冷やし清汁仕立
姫筍、楓麩、結び三つ葉、柚子の花 |
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材料(6人分)
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葛粉 |
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80g |
水 |
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3.5C |
塩 |
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小1弱 |
砂糖 |
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大1 |
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海老 |
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50g |
薄口醤油 |
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小2/3 |
みりん |
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小2 |
酒 |
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小1 |
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姫筍 |
・・・ |
6本 |
吸地 |
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適量 |
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だし |
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4C |
塩 |
・・・ |
小1 |
薄口醤油 |
・・・ |
小1 |
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楓麩 |
・・・ |
1/2本 |
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三つ葉 |
・・・ |
12本 |
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(吸地 適量) |
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柚子の花
(木の芽) |
・・・ |
6個 |
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① 海老の身を粗みじんにして小鍋に入れ調味料を入れて混ぜてから火にかけてほろほろにする。
② 葛粉を水で溶き万能こしを通して大鍋に入れる。火にかけて始め強火、後は中火から弱火にして調味料を入れ、練り上げる。
③ 湯呑み6個に②の半量をそれぞれに分け入れ、上に①のそぼろをぱらりと置いてその上にさらに半量をとろりと入れて、冷やし固める。
④ 姫筍は吸地で煮ておく。楓麩は吸地で温める程度。三つ葉は結んで茹でておき、椀に入れる直前に吸地に通す。
⑤ ③を湯呑みから取り出して椀に入れる。④を添え、味を整えて冷やした清汁を注いで木の芽を吸口にする。 |
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*夏越の祓え(なごしのはらえ)
陰暦6月30日に各神社で行われる神事。この日、神社では神官や氏子の人達の手で青々とした茅の輪を作り、参詣人に次々にこれをくぐらせて祓い清めを致します。又、輪の中央に吊された人形(ひとがた。紙)に子供を触れさせたり、神社で配られた人形で体をなでたりして心身のけがれや災厄を祓い、海や川に流します。今でも親から子へ、子から孫へと伝えられ、各地で行われています。 |
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~小話~ |
かつて私はこの氷の木簡を追いかけて飛鳥の資料館まで行きました。ガラスケースの中の木簡に氷という文字を見つけた時、やっと、いにしえの氷が表現できると思いました。つづけて奈良公園の中の氷室神社を訪ねました。社務所の方に神社のいわれを聞きました。「昔は村人が氷乞いをした。氷が張る寒い冬は夏が暑く、お米がよく穫れるから」と解説してくれました。でも今は公園に氷屋さんがやって来てかき氷を売るのだそうです。
話は戻りますが、飛鳥資料館の前には酒船石(さかふねいし)のレプリカが置かれていて、館長さんのお話ですと「上から濁り酒を流すと表面に彫られた溝を流れ落ちて、須弥酒(清酒)になったと考えられる。」との解説をいただきました。又、「お酒を流して詩(うた)を読む遊びの曲水(ごくすい)の宴の原型ではないか。」とも話されました。
その後、平成11年2月、飛鳥寺近くのクヌギ林の中の酒船石遺跡から石段、石垣、構、亀形石が発掘されているとの情報を得たので早速現場へ見学に出かけました。その折には「酒船石は聖なる水を流したものではないか?」という説に変わったようです。 何かが発掘されるたびにいろいろな説が浮上するようです。飛鳥にはこのような謎めいた石がまだまだたくさんありますものね。 |
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史跡 酒船石 2000/10/4 |
亀形石(左)発掘現場 2000/10/3 |
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