No.1 ペルー旅行記
No.2 イカの町からナスカの地上絵見物へ
No.3 文化のつなぎ目 クスコ
No.4 天空の町マチュピチュ
No.5 ペルーの背骨
No.6 チチカカ湖の子ども

神谷尚代(17回)

 2006年6月、私は無事還暦を迎えました。
60年間、元気で暮らしてきたお祝いに、長年憧れていたペルーのマチュピチュ遺跡を訪ねることにしました。
 ペルーの観光地は海抜3400mから3800mの場所にあり、しかも日本とは地球の反対側、行くだけでかなり体力がいると思われます。ならば1日でも早くと、誕生日の次の日に出発しました。
 関西空港から出発するこのツアーは参加者20名とツアーコンダクター1名です。
アルマス広場

体力が必要であろうこのツアー、60の私は多分年長者だろう、皆さんに迷惑を掛けないようにしなければと思っていたところ、とんでもない。私は若い方から3番目、ぱしりの身分でした。
それにしても皆さん、元気な旅の達人達です。関西空港からロスアンゼルスまで10時間半、ロスからリマまで9時間半、狭いエコノミークラスの座席で音を上げることもなく、リマに着きました。 リマ現地ガイドの大石さん登場。
なんと昭和元年生まれの二世です。でも当方の最年長者は大正11年生まれの、大橋さん、85歳の元気なおじいさんです。

1996年に起きた日本大使館占拠事件の現場、フジモリ元大統領が建てた、スラム街の中の学校など、観光地だけではない案内がされました。あと2日で大統領が交代するとのこと。町はいたるところで厳戒態勢が敷かれていました。でも、どこの国でも赤ちゃんは可愛いし、お母さんは、家族は、素敵です。警戒中のポリスの脇で、親子が休んでいました。明日はイカの町からナスカの地上絵見物に向かいます。

 

イカの町からナスカの地上絵見物へ
神谷尚代(17回)

 イカの町はリマから南に260Kmほどのところにあります。アメリカ大陸を縦に貫くパンアメリカンハイウエイを4時間走りました。ハイウエイを外れて、2箇所のゲートをくぐりホテルに着いたのは夜11時を回っていました。

部屋に案内され、バスタブにたっぷり湯を張り、長旅の疲れを癒しました。
 翌朝、美しいホテルの庭を散歩しびっくりしました。ホテルだけが豊な緑と水に恵まれた、砂漠のなかだったのです。「夕べはあんなに水を使ってしまって。・・」
 ペルーはアンデスの雪解け水を運ぶ14筋の川に2800万人の 生活を託しているのです。国を挙 げての緑化事業と、温暖化による 雪不足から来る砂漠化のせめぎあ いは、どこでもみることができました。
 ナスカの地上絵見物には、イカの小さな飛行場からセスナに乗って出かけます。荒れた大地の上に描かれた幾筋もの涸れ川の跡を見ながら30分ほどでナスカ平原に着きました。

宇宙人
ペリカン
さる
いぬ


はちどり 

と説明があるのですが、右に左に旋回を続ける飛行にだんだん血の気が引いていくのを感じました。ただただ、あの平原に降り立ち、自分の足であの大地を踏みしめたいと思っていました。いろいろな国の旅人12名が乗り合わせたのですが、帰り道はみな口数も少なく、ゲロ袋片手に必死でした。

 誰が1500年も前にこんな大きな地上絵を書いたのかなどは、おいおいゆっくり考えることにします。ただ「私は見た。」これだけで満足でした。早く地上に降りたいのです。
 あすは、クスコの観光をします。

 

 

文化のつなぎ目 クスコ
神谷尚代(17回)

 リマからクスコまでは空路で1時間15分。でも高度は150mから3400mに上がります。
 抜けるような青空とはこのことでしょうか。本当にすごい青空が広がっていました。
 まず観光したのは、世界遺産のカテドラルです。

 立派なカテドラルは15世紀にマヤの人たちが築いた太陽と月の神殿を取り払い、その基礎と石材を利用して造られました。正面から見ると、スペイン風のカテドラルですが、裏側を見ると、太陽と月の神殿の基礎が残っています。
 どこの国にも、歴史があります。
侵略したもの、されたものの歴史です。この世界遺産は、建設されたものと見るべきでしょうか。破壊されたものとみるべきでしょうか。
神殿の床から立ち上がるカテドラルの柱、それは文化のつなぎ目なのです。

高地のため少し歩くと息切れがします。観光後、1000m下ったユカイが本日の宿。明日は憧れのマチュピチュに行けるのです。嬉しくて興奮気味ですが、息苦しさ、耳鳴り、頭痛が止まりません。高山病予防になると持参したダイアモックスを服用しました。




天空の町マチュピチュ
神谷尚代(17回)
インカ道を行くハイカーと、地元のポーター
 天空の遺跡マチュピチュに行くためには、2つの方法があります。
一つはインカ道を3泊4日のトレッキングで行く方法。4000mの峠を3つ越えていきます。必ず地元のガイドやポーターをつけなければなりません。
一日に入山できるのは600人、客200人にガイド、ポーター400人です。
このコースをとれば、マチュピチュ以外の多くの遺跡を訪れることができます。
  私達はもちろん列車で移動しました。

2時間の旅の間に、可愛い車掌さんが飲み物サンドイッチ、クッキーをサーブしてくれました。次の駅近く、列車を見に集まった子供たちめがけて、ツアー仲間がいきなりサンドイッチのパックを投げ始めました。
「何をするの?」「だってやせていて、可愛そう」「お願いだからやめて」「食べないんだから、いいでしょ」「この子達のプライドはどうなるの。それに、列車にはねられたりしたらどうするの。
  ツアーのみんなで話し合い、子供達にやたらにお菓子を上げない、チップの金額はガイドに相談して決めることにしました。

ペルーを紹介するガイドブックに「現地の子供に、お菓子やキャンデーをあげると喜ぶ。」と書いてあったそうです。でもキャンデーをもらった子供達が、虫歯で苦しんでいるのが現実です。子供達のお腹は、国と親が心配するべきことで、行きずりの旅人達が戯れにすることではないと、今、ベトナムのストリートの子供との係わりから私は確信しています。
 マチュピチュ遺跡の町アグリカリエンテスで列車を降り、未舗装の道をバスで30分登るとマチュピチュ遺跡入り口に着きます。入り口から遺跡は見えません。

標高2400m。ゆっくり時間をかけて、瓦礫の山道を30分登りました。心臓が踊っていました。もうだめだと思った時、視界が開けてあの、写真やテレビで見たままの美しい遺跡が現れたのです。

想像以上に美しい遺跡でした。
急な山の斜面は幾重もの段々畑になっています。畑に行くための作業道を覗き込んだらはるか400m下のウルバンバ川まで、一直線に吸い込まれそうです。
神殿を中心に、水場、居住区、などを見ました。マヤ文明は文字を持たなかったので、この遺跡の歴史の多くの部分は分かっていません。
鉄器をも持たないこの文明が、どうやってこのように岩を切り出し、ぴったり組み上げたのか、本当に不思議です。信仰によるものでしょうか、コンドルの形を模した大きな建造物、山頂に流れる水不思議なものが、大切に保存されています。
この遺跡に無制限に入場出来る訳ではありません。麓の町で入場券をもとめ、1日分に枚数に達すると、終わりです。遺跡に来ても入れてもらえません。


ペルーの背骨
神谷尚代(17回)

 クスコからプーノに向かう道は、ペルーの背骨です。
標高3400mのクスコから、3900mのプーノに向けて420kmの道を7時間掛けて走ります。
3400mと言えば富士山の8合目?5合目までしか行ったたことのない私には未知の世界です。

酸素ボンベを積み 込んだ、ベンツ製の新車のバスは快適に走りました。乾いた大地に張り付くような日干しレンガの集落が点在しています。そのほかは、「地球植生図鑑」のような眺めでした。2500mまでは木の自生が可能、3600mくらいはじゃがいもの栽培ができます。

3800mでは、高地に強い草があり、アルパカやピクーニャの放牧をしています。その上は、雪を頂いた峰々です。
標高4335mのラ ラヤ峠。今回の旅での最高地点です。こんなところにも、たくましい村人がお土産の店を開いていました。
農家を訪問しました。
歓迎してじゃがいもをゆで、粘土 をつけてくれました。この粘土、ミネラルを含んだ土で、塩味がします。貴重な調味料であり、薬であるとのことでした。なめらかで、「砂を噛む」ようではありません。
 



水で溶いた粘土農家ではじゃがいもをつくり、アルパカを飼育して、自給自足生活をしています。
アルパカの毛をお母さんが紡ぎ、息子達が敷物などに加工していました。
じゃがいもがお金の代わりをしているこの地域でも、現金が浸透してきています。標高4000mのコウヤ高原のシルスタニ遺跡を、1時間ほど歩いて見学しました。

が、私一人バスの中でへたばっていました。
10m先のトイレに行くのも考えます。高原に夕闇が迫る頃、プーノの町に着きました。

プーノのお泊りは国営5つ星ホテルです。世界最高地の湖「チチカカ湖」のほとりに建っています。
日干し煉瓦の埃っぽい農家にくらべて申し訳ないような環境です。
窓の向こうはチチカカ湖の豊な水でした。


富士山頂より高いこの地点、私の普段の脈拍は60/minですが、今は安静にしていても90/minあります。

高山病の予防にと、どこのホテルでもレストランでも「コカ茶」が用意されていました。ティーパックや、乾燥コカの葉が、置かれています。利尿効果があり、元気になると言われました。「飲むのは構いませんが、決して葉っぱやティーパックを日本に持ち帰らないでください。ペルーを出国したら麻薬取締法違反になりますよ。」ツアーコンダクターは、一生懸命説明していました。「コカキャンデーもコカクッキーもだめです。」


チチカカ湖の子ども
神谷尚代(17回)

 チチカカ湖は、世界最高地にある、琵琶湖の12倍の大きさの湖です。インカの守り神トゥミはこの湖で生まれたと伝えられています。
「チチとカカがいれば子が生まれる。」リマの80歳のガイド大石さんが、見事な親父ギャグをとばしていましたっけ。
チチカカ湖には、トトラという葦が 自生しています。このトトラを刈り取 って1.5mほど積み上げ、島を作りウル族の人2000人ほどが生活しています。家もベッドも燃料も全てトトラです。お母さんが魚を揚げてくれました。

ここウロス島でも、子供達はやはり可愛いです。
学校では、歓迎の歌と踊り、日本語の歌を歌ってくれました。

子供が利用されているようです
でも楽しいひと時でした。
手作りの、千代紙人形をプレゼントしました。
プーノでは、今さかんに観光資源として新しい島を作り、客を誘致しています。この風景も近い将来、もっと垢抜けた状況になるでしょう。歓迎してくれた、ウル族の家族に感謝と敬意を持って、お別れしました。

還暦記念旅行が無事終わりました。憧れの観光地を楽しく、事故なく観光できた幸せを噛み締めています。拙い旅行記にお付き合いを有難うございました。



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