No.1 No.2 No.3 No.4 No.5 No.6 No.7
No.8 No.9 No.10        

No.1

「親の介護は誰もが通る道」なんて、ピンシャンした親をもつ人が言うセリフ。欲望がつまった凡人にとって、親の介護で人生を狂わされることは生き地獄に放り込まれたくらいのショックなんです。
当然、介護者は天使なんかじゃいられない。夜叉にもオニにもなるのが道理。困ったことに、親だからこそオニになるんです。赤の他人なら、世話する間だけ穏便に過ごせればいいと割り切れるけど、精神的・肉体的・経済的・時間的・人生的にあらゆる影響を受ける親になると、「今だけ」が問題じゃなくなる。「今」も「これから」も「死んだその先」までもが大問題。
そりゃもう、あなた、暗澹(あんたん)たる気持ちになるものですよ。

自分の人生をダメにしないためには、まず親の人生がダメにならないことが一番。なんたって、「最期まで元気でコロッ」が親子が望む理想です。
ということで、オニになって初めて見えてきた痴呆予防(今は認知症と言うのですが、痴呆の方が現実的表現なのであえて痴呆で通します)と、不幸にも痴呆になってしまった時の現状維持のアレコレをご紹介します。
といっても、医者ではない素人の体験から得た結果ですから、反論や疑問は受け付けません。違うと思ったら無視してください。ヘェとか、ホォとか思ったら、ぜひ試してみてください。効果がなくても害もなし。

[其の一] 親の意識を鍛え直す
どんなタイプの人が痴呆になるのでしょうか。
早期痴呆治療の「浜松方式」で有名な金子先生によれば、一言で言えば「公務員タイプ」だそうです。長年にわたり決められたスケジュールだけを勤勉にこなしてきた人で、役所勤務・先生・警察官・自衛隊員・消防隊員などが代表格です。自らは何も考えず命令・指令・指示に従えばよいとされて一生を過ごしてしまった人。いわば思考停止型人間です。
女性の場合はどうでしょう。親に従い、夫に従い、老いては子に従うという、一昔前なら女性の鏡のようなタイプの人は、確実に痴呆へと向かいます。指示だけを待つことで、やっぱり頭が停止してしまっているからです。
わが母は、従順な妻とはほど遠い性格ですが、自己判断を嫌い、何事も他人の判断に依存し、その結果に不平・不満を言うことを生きがいにしているようなタイプです。とにかく、あきれるほど、何事も、自分では決めない!
私が最初にしたことは、自己判断と自己責任を徹底的に教えること。
「今夜、何を食べる?」「アンタ、決めてよ」「だったら、何を食べたいの? 肉なの、魚なの」「……わからない」「じゃ、食べなくていいよ!」「……!」
一緒に暮らし始めた頃は、こんな会話が日常茶飯事。「どうせ脅しだろう」と高をくくっていた母も、実際にご飯とみそ汁だけの食事を前にすると、娘の本気さを感じないわけにはいかなくなり、次の日からは主菜の種類くらいは自分で選ぶようになります。
しばらくは、一事が万事この調子です。これ、そうとうの覚悟と根性が必要なガチンコ勝負なんですよ。母はグチって怒っていればいいけど、こちらはただひたすら辛抱して、時には「何でこんな簡単な事が決められないの!」とヒステリックにわめき、ため息をついて、また待って…、さらに絶えて…。
最近では、強情な娘が「自分で決めて!」と放り投げた問題は、どんな応えでも自分で出さない限り何事も進まないとあきらめたようで、ブツブツ言いながらも「決断をする」ことかできるようになりました。
大事なのはその後。母が判断し、決断した結果に責任をとらせる事。あまりにも安易に決断した場合は、「それだとこんな困難・問題があるよ」と忠告をすることはありますが、少しぐらいの不都合が予測できても、あえてその通りにします。「よく考えて判断しないと自分が困ることになる」という当たり前のことを、自分で体験することで理解してもらうためです。
今さら…と思われるかもしれないけど、「今」だから必要なんです。痴呆を目の前にした今だからこそ、自分の頭を使って生きるイロハを改めて学びなおしてもらう必要があります。老いた今こそ、何事にも頭を使わないと、脳の機能がどんどん低下してしまいます。古い器具こそ日々のメンテナンスが大切なのと同じ原理です。

私の口癖は「頭は働くうちに使ってよ! ボケたら使えないよ。首の上にあるのはカボチャじゃないんだから!」。母は「どうせカボチャよ。いくら頭を使おうとしてもカラッポなんだもん」と反発。母のカボチャ頭は、サボルこと、ごまかすこと、こびることだけには、驚くほど機敏に反応しています。

No.2

「親の意識を鍛え直す」なんて、70歳をすぎた老人には無理でしょう…と、思っていたあなた! さにあらず。
まさに『継続は力なり』です。日々、何事につけても「自分で考えて!」「自分で決めて!」「自分の責任なんだよ!」とオニの叫びを続けて約一年。
ある日、母が転倒し、入院する事態になりました。今までならば「どうして私はこう不運なんだろう…」と嘆き悲しむパターンなのに、「これは私の責任だね。がんばれば、歩けるようになるよね。私、がんばる!」と宣言!
まぁ、本人のがんばる意識と行動との間には大きなミゾがあったのですが、それでも他人や運命のせいにしないで、とにかく自己責任として受け止め、自力で回復しようという意志は、今までにはなかったもの。医師が「寝たきりになる事を覚悟してください」と言った状態から、約一年で、なんと杖なしでも歩けるほどに回復しました。意識改革に『遅すぎる』はありません。

[其の二] 親の痴呆発見するPAT検査
母親の意識改革をめざして半年ほどした頃、アレッと思うことが続きました。
若い頃から天然ボケ気味の母なんですが、そのボケ方が今までとはどこか違うんです。どこがどう違うのか、指摘は難しいけど、感覚的にすごく違和感があるボケ方。とでも表現するしかありません。
あえて具体的に言えば、反応スピードがものすごく遅い、言葉のつまり方が不自然、忘れ方が異常…のような感覚です。

痴呆(認知症)と一言でいっても、その原因は様々です。アルツハイマーのような病気が原因のもの、脳溢血など脳血管障害で脳が損傷した場合などは、話が別です。母の場合は、一般的に廃用性痴呆と呼ばれるもので、極端に言うと、脳を使わないことで脳機能が停止する状態…だと、私は理解しています。
というのも、ホームページなどで「痴呆」を調べると、かなり重症な症状を問題視していて、正常と異常の境目ともいえる早期痴呆の情報はほとんどありません。また、アルツハイマー病とアルツハイマー型痴呆を混同しているものも多く、さらにはアルツハイマー型痴呆と廃用性型痴呆の区別もあいまいです。そもそも、廃用性痴呆なんて言葉は出てきません。早期痴呆治療は始まったばかりで、私は、たまたま早期痴呆に詳しい方々と懇意にしている関係で覚えた知識が多いんです。ですから一般的認識ではないかもしれません。
でも、母の半世を考え、母の行動・思考パターンを考え、母の現状を考えると、脳を使わないことによって機能低下を起こし、さらに機能停止にいたる、という廃用性痴呆の考え方とピッタリ一致します。
身体機能でも、使わなければどんどん機能低下し、それでも使わなければ機能停止になってしまいます。脳だって、きっと、同じです。

ということは、母の言動に違和感を覚えた時に、浜松医療センターの高齢者脳神経科を受診させ、PAT検査を受けさせて実感しました。母の脳機能は、まるで深い海の中のように真っ青! 紺・青・緑が大半で、わずかに命の赤が点在しているだけでした。赤い部分は、生命維持の根元に関わる機能部分だけ。正常な脳ならば、赤・オレンジ・黄色など暖色系が中心で、暖色系が多いほど活性化されている脳だと言えます。母も、さすがに、ショック! 母にくだされた診断は「前頭葉側頭葉型痴呆」でした。ほぼ、脳の大半が痴呆状態という意味になりますが、PAT検査の結果を見ているので納得。
この脳機能のPAT検査はオススメです。痴呆かどうかを客観的に認識できる唯一の手段で、映像とカラーで示されると、もう本人が否定する余地がなくなります。自分の脳の現状を、いやでも、再認識させられます。
本人が「自分は痴呆だ」と自覚しなければ、早期痴呆治療の効果が半減してしまいます。痴呆予防の意識では、トレーニングにも熱がはいらないし、継続も困難ですが、青い海のような自分の脳を自覚すれば、取り組み方が違い、効果も全く違います。本人だって痴呆が進むのはイヤなんです。
早期発見と早期治療は、痴呆の場合も最善策です。


No.3

今回は「認知症を早期でくいとめよう!」という運動をしているNPO法人認知症予防ネットの代表者のお話。高林実結樹さんという京都にお住まいの女性です。世の中、信じられないほどりっぱな方って、いらっしゃるもんですねぇ。
彼女を囲む小さな講演会があり、参加してきました。

きっかけは、お母さんの痴呆。彼女が気づいた時には、娘を認識できないほど重度になっていたそうです。呆けた母に娘として接してもらえず、十分な介護をできなかった後悔から、彼女のがんばりが始まります。
まず最初は「ぼけ老人をかかえる家族の会」でのボランティア。昭和58年のことです。その後も痴呆老人や家族に関わるボランティア活動を続けるうちに、「老人福祉法」の中に痴呆対策がほとんどないことに気づき、時の厚生大臣に「寝たきり老人等」の表記を「痴呆老人及び寝たきり老人」に変更して欲しいと提言。なしのつぶてなのに業を煮やし、夜行バスで上京して厚生省老人福祉課に飛びこみ、当時の法令課長に直談判をしてしまいます。結果は「要援護老人」という表記に変更!
これ、ものすごい事なんです。ちょうど、老人介護法制定時期であったとはいうものの、一国民の苦情に政府が動いたのですから。

それからも、こんな調子でエンジンフル回転のボランティア活動が続きます。やがて、雑誌で「痴呆は治る」という合宿型脳リハビリ教室の実践例を知り、即座にその方法・スリーAを学ぶために連絡し、看護婦資格がない人はダメだと断られると、今度は自発的広報マンになって奔走します。
これも、ものすごい。痴呆治療のすばらしい方法だと信じたスリーAを、無報酬で宣伝しまくり、とうとう「痴呆予防教室を広げるネットワーク」なるグループを立ち上げ、2年後の2004年には現在のNPO法人にしてしまいます。
その後、京都府木津町で最初の教室を開き、その成功で八幡市から委託事業を受けるなど、広報から実践へと活動を進めてばく進中です。

「スリーA」とは「あかるく、頭をつかって、あきらめない」の三つの「あ」の事だそうです。オニ娘には耳が痛いけど、学習療法、音楽療法、回想法などに加え「やさしさのシャワー」と「笑い」によって、認知症を治す方法だと説明されました。オニ娘も、笑いが大切なのは、充分に承知だけど…。

講演後、彼女と個人的におしゃべりすることができました。じつは、仲間の仲間なので、私も仲間!?。素顔の彼女は普通のオバさん。どこにそんなバイタリティがあるのかと思うほどです。オニ娘の現状を話したら「それ、理想ですよ」。エッ!! 家族があきらめないでがんばらせ、教室やヘルパーさんが頻繁に接して楽しい刺激や笑いをたっぷり与えるのが理想なんだとか。我が家はその通り。

ということで、またちょっぴり自信をもって、次回からオニ娘復活です。


No.4

今回は「早期痴呆発見法」のお話。早期発見+早期治療が痴呆治療対策の原則なんだから、とにかく早く発見しないとお先真っ暗という事なんです。
また「受け売り」です。でも、これだけは、体験的直感なんかではなく、医学的裏付けがあった方がいいですよね。アンチョコは浜松医療センター顧問・浜松早期痴呆研究所所長の金子満雄医師がまとめた『地域における痴呆診断と対策』という早期痴呆の専門書です。

まずは、痴呆=認知症とは何か?
「痴呆の始まりは物忘れではなく、意欲低下、自発性、計画性、機転の低下、注意分配能力の低下などである」。根拠は「痴呆の本態は大脳全般の障害であるが、最も侵されやすく、また最初に障害されるのは人の最高次機能をコントロールしている前頭前野である」という二万人以上の臨床観察。
ここでいう「痴呆」とは、アルツハイマー病などの病気や脳の血管の損傷が原因の症状(血管性痴呆)ではなく、いわゆる廃用型(使わないことで脳機能が退化)の痴呆のことです。一般的には「アルツハイマー型痴呆」などとも呼ばれています。

ここで注意したいのは、「物忘れ 即 痴呆」ではないという事。物忘れは、白髪みたいに、誰もが体験する自然な脳の老化でそうですよ。ホッ…?
でも、恐いのは、特別な用事がない平凡な一日、「午前中にコレをして、午後はアレを片づけて…。そうそう、デパートの買い物を今日すませられそう。じゃあ、片づけをやめて、デパートへ行って、夕方のあの番組までに○○屋の総菜を買って帰ろう」なんて計画が思いつかない事。
なんとなくボーッと一日が過ぎ、いつもの家事をなんとなくして、今日も平穏無事でよかったと思っていると、それこそ痴呆まっしぐらの道なんですよ。

痴呆は三段階?

1. 軽度痴呆 生活には一応、支障はないが、社会生活には明らかな支障が起こっているレベル。
2. 中度痴呆 セルフケアには問題がないが、家庭生活に明らかに支障があるレベル
3. 重度痴呆 生活全般に支障があり、問題行動を起こすレベル

軽度痴呆=早期痴呆なんですが、現実的には軽度痴呆の発見・自覚は難しく、中度痴呆ぐらいで、やっと痴呆に気づくようです。我が家もしかり…。

ここでいう「軽度痴呆」とは、例えば、会社勤めが困難になるのではなく、会社でいつもの仕事をするのは問題ないけれど、会議でアイデアを求められる、営業で新規訪問先を自発的に計画する、などの機転や発想を求められた時にオタオタして指示待ちになってしまう状態のことです。ドキッ…ですか?
専業主婦ならば、テレビで見た新しい料理を作ってみる、近くにオープンした店へすぐ行くなどの好奇心と積極性がなくなったら、もう赤信号です。

「中度痴呆」になると、同じ献立ばかりを作ったり、何かに気を取られると料理をしていた事を忘れて鍋を焦がしたり、などなど、日々トラブル続きになり、「何をやっても失敗ばかり」と嘆く状態です。思い当たれば「中度痴呆」です。

びっくりしましたか。
「年をとったら、そんなの当たり前じゃん」と思っていませんでしたか?
ところが、みんな「廃用型痴呆進行中サイン」なんです。
信じたくなかったら、無視してください。でも、結果はすぐに出ますよ。

別枠で、早期痴呆発見のセルフチェックリストと、簡単な確認テストをつけました。痴呆が不安なご両親などに試し、結果が悪かったら、すぐに高齢者脳神経科(浜松医療センターの場合)等を受診してみてください。

この分類法だと、中度痴呆になってしまってから、アタフタと必死で引き戻し努力をしているオニ娘の心からの警告です。軽度痴呆ならば、楽しみと生活の刺激を増やす努力さえすれば、間違いなく正常人に戻れるのですから。
中度痴呆になってしまうと、ほんのささいな事で、ガクンッと落下。白内障の手術で三泊四日の入院をしただけで、母の痴呆は明らかに進み、オニ娘は呆然としています。入院+抗生物質+全身麻酔(圧迫骨折六回の母は腰痛のために全身麻酔)=痴呆超悪化。一年半の努力がアワと消え、また仕切直しです!

1. 軽度痴呆

(1)一日や一週間の計画が自発的にたてられなくなる
 (指示待ち人になる)
(2)反応が遅く、動作がモタモタしている
 (歩行も手の動きも)
(3)同じことを繰り返し話したり、尋ねたりする
 (買い物も同じものを買ってくる)
(4)無表情・無感動の傾向になる
(5)ボンヤリしていることが多い
(6)生き甲斐を感じない
(7)根気が続かない
 (何でも面倒くさがる)
(8)発想が乏しく、画一的となる
(9)仕事をテキパキと片づけられない
(10)相手の意見を聞こうとしない

●以上のうち、4項目以上に○がついたら軽度痴呆の可能性が大
●痴呆の大切な最初の兆候は、意欲がなく、自発的に計画して、何かをやれなくなる事。特に周囲の情況に対応して、今、何をやるべきかが分からなくなっている。


2. 中度痴呆

(1)月日があやふやになる
 (おおよそ何月であるかは分かっている)
(2)料理がうまくできず、味つけがおかしくなる
 (おかずの種類が減る)
(3)今までできていた仕事(洗濯物の整理、皿の片づけ)ができなくなる
(4)ガス・風呂の火、電気の消し忘れ、水道の止め忘れが目立つ
(5)身だしなみに無頓着になる
(6)季節や目的に合った衣類を選べない
(7)薬を自分できちんと服めない
(8)昨日のことをすっかり忘れてしまう
(9)お金や持ち物のしまい場所を忘れて、「盗まれた」などと騒ぐこともある
(10)簡単な計算ができない

●以上のうち、4項目以上に○がついたら中度痴呆の可能性が大
●月日を忘れるレベルでは、自分が今、どこに来ていて、何をするかなどの状況把握がうまくできなくなっている(見当識の低下)。簡単な家事を頼んでも頼りにならない。火を使い料理を作らせるのが不安。身体能力も低下。


3. 重度痴呆

(1)家族の名前、人数や続柄が分からない
(2)服の着方がいいかげんになる
 (または一人で服が着られない)
(3)汚れた下着を平気で着けている
(4)入浴を嫌がる
(5)食事を済ませたことをすぐに忘れ、また食べるという
(6)自宅の方向がわからなくなる
 (すぐに迷子になる)
(7)家庭生活全般(入浴・食事・トイレ)に介助が必要になる
(8)独り言や同じ言葉の繰り返しが多くなる
(9)誰もいないのに「誰かがいる」などと言う
(10)大小便の失禁やトイレを汚すようになる

●以上のうち、3項目以上に○がついたら重度痴呆の可能性が大
●指示がなければ、何をしていいかわからないので、ただジッとしているか、意味のないこと(何かを引っ張る、たたく、破くなど)を単純に繰り返したりする。時間がわからず、本能的、感情的になる。この段階になると、かなりの脳細胞が壊死・脱落していると推測され、回復の可能性は少ない。


(1)花・動物名想起テスト(一分間)
指定された花の名前、または動物の名前をいくつ想起できるかを調べる。

●出題例「世界中の四つ足の動物の名前を思い出して、次々と挙げてください。ただし、同じものを繰り返し言わないように」

・「花・動物」以外にも、畑の作物、家具調度品などでもテストができる。

○同じものの反復は誤答に含める。

〈評価〉 60代=一分間に15個以上(最低12個で合格)
     70代=一分間に12個以上(最低10個で合格)

○軽度・中度の痴呆がある場合は、一分間に4〜5個ぐらいが普通。
検査の途中、20秒〜30秒の間、全く答えが出てこない空白時間がある。

 

(2)セブンシリーズ(7 Subtraction Test)
100から順に7を引いてもらい計算能力、注意集中力、持続力などを調べる。

●出題例「100から順々に7を引き算してください」

〈評価〉 「93 86 79 72 65 58 51」 までスムーズに答えて合格。

○正常人ならば20〜30秒ですむが、1分以上要すると異常=痴呆と判定。
最初の93→86ぐらいまでは順調に進むが、そこで頓挫し「何を引くんでしたか」とか「今どこまで行っていましたか」と聞き直すこともしばしばあるが、そこで不可=痴呆と判定。

○似たテストで100から7を引いて計算能力だけを判定する方法もあるが、この場合は、「100から7を引いたらいくつになりますか」と質問し「93」の答えを得たら「それからまた、7を引いてください」と質問していき、「65」に達するまでの正解数を調べる方法。時間は無制限。誤答があっても、そこから7を引いた数が正しければ、そちらは正解とするのでセブンシリーズよりも簡単なテストになる。

○痴呆検査=前頭前野機能テストならば、セブンシリーズをすれば、ほぼ確定。


No.5

12月17日と18日に、二回にわたって、NHKで認知症の特集をしていました。ご覧になった方も多いのでは。
「NHK特集=医学界の常識に基づいた最新情報」と、普通は考えてしまいます。でも「あの番組には偏見がある」というのが、裏事情通の専門家たちの意見でした。早期痴呆治療の最先端で長い実績があり、しかも治療方法で対立するような人々が、その点だけは異口同音に言っていたことです。そのくらい、早期痴呆治療は過渡期だということです。そして、早期痴呆の概念・症状の医学的な判断が非常に難しいという話です。医学界の問題がどうであれ、現実に認知症の老人をかかえる身にとっては、とにかく良くなってほしい! が実感ですよね。

前回の痴呆診断テストで「ありゃ、困った!」と思われた方、オニ娘の話は、だまされてもいいぐらいで聞いてください。医学的な裏付けは何もないけど、母を通じての実践的な結果だけはあります。今も暗中模索ですけど、介護の専門家に驚かれるほど母の痴呆状態が良くなったのは事実です。

「軽度の痴呆」らしいと感じられた方は、とにかく「自分が楽しめる何か」を見つけてください。自宅で一人でするのではなく、教室や講座に参加して、みんなといっしょにすることが大切です。
そのためには、体験してみるのが一番です。ほんの少しでも興味があれば、重い腰を上げて、行きたくもない教室でも、とにかく参加してみてください。最初から楽しい習い事なんてない…と達観し、それでも10回は通おう、あるいはこの講座を3ヶ月だけは続けようと自分で決めて、その間に楽しみ方を見つけてください。気の合う人、おもしろい先生、通う道の風情…なんでもいいじゃありませんか、楽しければ。
軽度でも認知症があれば、積極的に新しい事にチャレンジするのは、本心から面倒なはず。そこがもう痴呆なのだと自覚し、習い事は認知症を治せるかもしれないトレーニングだけど、やがては自分の人生を豊かにしてくれるはずと先の楽しみを意識して、がんばってみてください。「自分が楽しめる何か」に出会えれば、きっと良い効果があります。

「中度の痴呆」らしい方は、まず、一日と一週間の生活のリズムを作ることです。毎日に変化をつけ、ぼんやり過ごす時間を少なくし、できるだけ他人と接する時間を増やす努力をしてください。こうすることで曜日・時間の概念が失われにくく、毎日の生活に刺激が加わり、結果として脳リハに役立ちます。正常な人でも、長期休みには曜日の感覚や時間意識が薄れます。ましてや認知症の老人は、変化がない日々が続けば、アッという間に時間概念が消えてしまいます。
我が家では、週に二日のデイサービスが大きなリズムになり、さらにほぼ毎日、短時間でも、ヘルパーさんが来るようにスケジュールを組んでいます。母は「毎日忙しい」とほやいていますが、何かの拍子にポッカリ時間があくと「たいくつでつまらない」と今度はため息をついています。
「中度の痴呆」では、身体的な要因がないと介護保険対象者にもしてもらえないケースがあるようですが、身体がお元気ならば、公民館の講座を利用したり、月に一度ぐらいはお友達や家族と外食を楽しむ事に決めたり、入浴日を固定したり、とにかく毎日・毎週の生活に変化とリズムをつけ、それを楽しめるように工夫することです。
生活にリズムがついたら、脳トレーニング。お年寄り向けの大きな文字の本や脳トレ用ドリルなどもあります。書店で見てください。
意外に手軽で効果的なのは、三歳から五歳児向けくらいの迷路や計算や間違い探しなどのドリルです。100円ショップの幼児向けのパズルやぬり絵、ゲームや学習ドリルなども役立ちます。最初は、ぜひ、親子でご一緒に。やり方を説明でき、ゲームなどは会話もはずみます。
くれぐれも、できなくても、バカにしない事。とはいうものの、イライラしてきて、ついつい「バカねぇ!」と叫びたくなります。でも、幼児の知育教材すらできないのが、中度の痴呆の平均的なレベルなんです。
母は、自分からジグソーパズルをしたいと望みましたが、100ピースのジグソーパズルを見てビックリ。「こんなに難しいのは無理!」と言われ、やっと幼児用パズルの事だと気づき、15ピース、20ピース、30ピース、60ピースと買いそろえてみました。15ピースは楽勝で、20ピースはモタモタ、30ピースだと悩みます。60ピースは一人では謎の世界。でも「コッチのはできた!」という達成感があるせいか、珍しく根気よく挑戦しています。中度の痴呆の場合、本人のやる気を継続させる事が大切です。

「重度の痴呆」の方は、もう「行動の理解とやさしさのシャワー」しかないかもしれません。脳トレというよりも、精神的な安定感を維持させる努力をすることで、本人にゆとりが生まれ、そのゆとりの中から回復の芽が出ることがあるようです。回復よりも現状維持が最大の目的になってきます。どんな突飛な行動も、不安や苛立ちや怖れの表現としてとらえ、本人の深層心理を理解してあげてください…と教えられましたが、まだ体験していないのですが、とても難しいことだとは思います。このレベルになっら、信頼できる専門家のアドバイスが必要ですね。それが、もしかしたら、一番難しいのかもしれませんが。

 

No.6

新しい年を迎えたのが、もう、ずっと前のように感じます。やっと一月が終わったばかりなのに、今年の疲れがドッと出たような!?
介護者にとって、一月は鬼門の月です。年末から正月にかけて、世の中あげて「非日常バージョン」になってしまい、さらに親族が帰ってきたりすると、生活のリズムが狂い、精神的なバランスが崩れます。久々の家族団らん、孫たちの笑い声などで活気づいた後の静寂も、心身に少なからぬ影響を与えます。老人も介護者も、ぐったり。
なんとなく、気分一新したい時に効果的なのが、おしゃれです。まず“年寄り臭さ”を振り払う“若々しい色”に挑戦です。
とは言っても、長年の色の好み、周囲の同年輩者とのバランス、老人自身が感じる「年相応らしさ」…など、老人のファッションのカラーを変えるのは大難問です。
そこで、私が試みたのが「寝間着のカラー革命」です。
母も、淡いブルーや薄紫系の花柄など、いかにも「田舎のおばあちゃん御用達」の色とデザインのパジャマを愛用し、鮮やかな色のパジャマは若者用で年寄りが着るものではない…という固定観念でコチコチでした。
最初に買ったのが、とてもきれいなピンクの花柄のパジャマです。母が普段買うバーゲン品よりもずっと高級です。肌触りがよく、色もデザインもきれいなパジャマは、母に気に入られましたが、これを日常着にさせるのが、また一苦労。「着ないのなら捨てる」と脅しつつ強引に愛用させました。白髪が増えた今、少しくすんだピンクが母には似合います。「ピンクって顔が明るくなるのね」と本人もニッコリ。
そこで、たたみかけるように、黄色、オレンジ、鮮やかなブルー、赤いチェックなど、およそ老人らしからぬ、でも美しい色とおしゃれなデザインのパジャマをラインナップしました。今度はバーゲンで格安に揃え、古いパジャマを廃棄処分。色鮮やかな新品のパジャマしかないので、「恥ずかしい」とか「子供みたい」とか文句をいいながらも、とにかく着ます。着慣れてくると、意外に似合う色、パッと若やぐ色、好きなのに似合わない色なども自然にわかってきます。
約半年ぐらいは、寝室ファッションショーですが、「こんな色が似合うね」という色の発見があり、明るい色調に目が馴染んだ頃、上着の色も明るくしてみます。今ならば、春用のブラウスとして、サクラのような淡いピンクや菜の花のような黄色、若葉の鮮やかな緑、澄んだブルーなど。
できればデイサービスや通いなれた病院などへ、まず着ていってもらってください。「あらっ! 若々しくて素敵!」「今日はおしゃれですねぇ」「春らしくてお似合い!」などの誉め言葉を言ってもらえそうな場所が最適なんです。他人の誉め言葉くらい、大きな自信になるものはありません。
一緒に暮らすようになって三年。母の洋服は一変し、ピンク、イエロー、スカイブルー、ペパーミントなどのきれいな中間色が増え、茶色、グレー、エンジなどのくすんだ重い色が激減しました。
今は、まさに、見切りバーゲン最終期。ストレス解消をかねて、街中まで、掘り出し物をさがしに行ってみましょうか。バーゲンセールの文字が消え、それでも売れ残った商品がスミのワゴンなどにひっそりと積まれています。セール価格の半値ぐらいまで下がった激安商品ならば、新品に醤油のシミがベタッとついても、大小便のそそうでオシャカになっても、あきらめがつくというもの。それに“残り物には福がある”かも!

 

No.7

 前回は、正月明けに書いたものでした。今は、猛暑の最中!!
 我ながらあきれます。

 年頭から春までは、浜松市議選の応援でアタフタと過ぎました。同期の関イチローの応援だったのですが、今年は北高OB一騎打ちの市長選など、北高同窓生にとっては何かと関わり深い選挙でしたよね。と言いつつも、もう何年も前の話のような感じ…。
選挙が終わり一段落した頃、我が母に小さな事件が発生。ショートスティから帰った翌日、朝から腰がすごく痛いと訴えます。いつもとは違う右脇腹に激痛がはしるとしかめ面。それからいろいろと問いただし、あやしげな記憶をたぐり、腰痛の原因探しです。
どうやら、ショートスティ先で皆さんとおしゃべりをしていた時、トイレへ行こうと立ち上がってすぐ、名前を呼ばれて身体をひねって振り返った瞬間、ギクッとしたとか。ビビッと痛みもはしったけど、大騒ぎをするほどではなかったからほっといた、と母。思うにスジを違えただけ?
それでも、あまりに痛がるので医者へ連れて行き、レントゲンやらなにやら大騒ぎをした診断結果は「軽くスジを違えたようですね。ちょっと腫れているだけだから大丈夫」とのこと。一安心、のはずでした。
さにあらず。
症状としては、医者が治療を必要と思わないほどの軽症のはずなのに、本人の意識は「大けが」に傾き、ベッドから起きられない、歩けない、動けない、痛くて死にそう…などなど、アッという間に何事かとあきれるほどの大病人に変貌してしまったんです。
オイオイ、これも痴呆のせい…?!
ほんとうに要因の一つなんです。感情抑制がうまくでくなくなるのは痴呆(認知症)の特徴の一つ。もともと痛みには極端に弱い母なので、動くと痛い→痛いから動きたくない→動かないと筋肉が硬直して痛みが強くなる→どんどん痛く感じる→動くと痛くなるし寝ていても痛い→重症の痛み…というマイナスの自己暗示が働き、意識の根底にある動きたくない欲求と重なって、もうテコでも動かない状態!
思い返せば、選挙運動支援で日々忙しくしていた時期は、母もしっかりしなくてはいけないという自覚が強く、オニ娘休業状態で過ごせたんです。その反動もあるのか? と疑いたくなるほどのグズグスぶり。まるで幼児がタダをこねるような「動きたくない症候群」になってしまいました。朝、大げんかのような状態でとにかく起こすのに、日中は椅子に根が生えたように座ったままで動かず、その動かなさに感服するほどです。
当然、オニ娘の復活! 身体を動かさなくなる分だけ痴呆が進む…と思えるほど、さまざまな「異変」が起きます。
時間感覚がダメになり時計の針が全く読めない、毎朝使っていた電子レンジが突然使えなくなる、曜日の感覚がどんどんなくなり今日の予定と明日の予定がゴチャゴチャになる、ショートスティとデイサービスの違いを忘れる、その他のアレコレが狂って、本気でわからないのか、わからないふりをしているのかと疑うような事態が続くんです。
さらに困ったことに「腰痛がひどいから、痛くて何も食べられない」と言いだし、本当に何も食べなくなり、医者から栄養失調だと注意されるほどやせ細ってしまいました。
「そんなに寝たきりになりたいのなら、もう動くな!」「自分で餓死を選ぶのは自由、もう食べるな!」と、昼夜のオニ娘の怒声。
やさしく「食べてほしい」「動いてほしい」などと懇願しても、ムダなんです。心底動きたくない、動かないから食欲もなく食べたくない、という悪循環の時、やさしくすればするほど、理解されたと思いこみ、ますますわがままが増長します。でも、痴呆が思っているよりも進んでしまっているのならば、怒声は逆効果。恐怖で萎縮し、すべてが停止します。
本当に、日々が迷い。怒鳴って様子を見、脅して様子を見、合間に諭して反応を見、なぐさめ役の妹には電話でやさしく懇願してもらい、あの手この手を試してみるしかありません。
一つの光明は、所詮はスジを違えただけの軽症なので、時とともに痛みが薄れるという事実だけ。
案の定、三ヶ月もたつと「痛い!」という叫びもトーンダウンし、「動けない!」とわめくのにどんどん軽妙な動きになり、本人も治癒してきたことを認めざるをえなくなってオニ娘の怒声もパワーアップ。今、もう一度、動く力や歩く力をしっかり取り戻さないと、今度こそ本当に寝たきり老人まっしぐらになりかねないからなんです。脳リハは身体機能回復のあとの話です。また戻るのか、もう戻らないのか? ボケにつける薬がほしい!


No.8

『前回は、正月明けに書いたものでした。今は、猛暑の最中!! 我ながらあきれます』と、前回の「其の7」の冒頭で書いていました。
今は、さらに半年が過ぎた翌年の一月末。もう言い訳もありません。

母は、昨年の夏に、腰のスジを違えて大騒ぎをして以来、大きな事件はありませんでした。ただ、風邪による発熱など、ちょっとした体調変化でもボケが進み、日々、ジワジワと老化と痴呆が進行しています。
寒さに向かう季節になると、もともと少なくなっていた運動量がさらに減り、歩行器にすがってスリ足で歩くのが精一杯になりました。ヘルパーさんが心配するほどの足腰の弱りようで、日々の状態を見ている私も放置しておくわけにはいかないと感じていました。
難しいのは『どうやって動かすか』です。自分で身体を動かしてもらうためには、まず意識を変え、自発的に動こうと自覚させることなんです。

認知症の介護について書かれたものには、介護者や家族は、認知症の現状を理解し、受け入れ、非難しないように指導されています。
私に言わせれば、とんでもないことです。
もちろん、病気やけがで脳の一部の機能を失って発生した認知症については、受け入れて最善を尽くすのみです。でも、母のように、脳を使うことを忘れて認知症がひどくなる廃用型は違うと思っています。

もしも、自分の親が、手を使うことを徹底的に面倒がり、それが原因で手が自由に動かなくなったら、どうしますか。
「手を動かすのが面倒なのよね。そんなに嫌ならば、手を使わなくていいよ、全部やってあげるから」とやさしく笑えますか。
それとも「何の異常もない手が動かないのは使わないからよ。ちゃんとリハビリをして手が動くようにしなきゃ。いくら面倒でも、自由に手が使えないと不便でしょう」と励ましますか。

脳も同じことだと思っています。
母は、自発的に脳を使わず、すべからく受け身だけで、その指示や命令が嫌な時の逃げ方だけに腐心して80年間も暮らしてきたので「自発的に脳を使う」という事自体を理解できません。「自分で考えて!」と言われても、何を考えればいいのかわからず、アタマが真っ白な状態でポカンとしてしまうのです。しばらくして「何をすればいいの?」とオドオド。「だから、それを自分で考えて!」と怒鳴るオニ娘。

情況は、朝の着替えの時です。パジャマ姿でベッドの端に立ったまま、ぼんやりしています。待っているんです。私がしびれをきらすのを。
「何をしているの! まずパジャマをぬぐんでしょう!」と怒鳴れば「そうそう、今そう考えた時なのにぃ…」とホッとした表情でニンマリ。すかさず「なんでパジャマをぬぐの?」と意地悪く質問すると「知らないわよ、アンタが今そう言ったんじゃない」とビックリしたような顔になります。
ここからが本番。
「じゃ、私の言葉に便乗しただけなのね」とにらみます。「そんな事ないわよ。いつまでもパジャマなんて着ていられないから、ぬいで着替えるの」。「なんでパジャマはダメなの」「だって、夜、寝る時に着る服だから」「別にそのままでもいいよ」「やっぱりダメ。寒いし、みっともないもの」

こんな調子ですが、ボンヤリと着替えていた時に比べ、「なぜ?」「どうして?」「次は?」「今の『わかった』って何がわかったの?」などと質問することで、否応なく動作の意味や次の作業を自覚することになり、それまで無意識に応えていたカラ返事も少なくなり、ほんの少しですがアタマを使わせることができるようになりました。
大切なのは、正しい意味や手順を思い出せるかどうかではなく、たとえ間違っていても、自分の意志・思考で何かを発言してもらうことです。

でも、敵はごまかすことにかけては百戦錬磨。冷静さを失わせ怒鳴らせようとする時さえあります。タヌキとキツネの化かし合いのような、トンチンカンな会話が、今も毎朝・毎晩、続いています。一日中この調子でいると双方がヘトヘトに疲れるので、日中は休戦状態です。

その成果か、一年ぶりにした認知症のテストで、現状を把握し解決策を示すようなテストと、「野菜」などと指示された物の名前を時間内にたくさん挙げるテストの点数が上がっていました。実際には、時間感覚がなくなり、曜日や時間をすぐ忘れ、昨年の暮れには妹(娘)の声や存在さえ忘れかけていましたが、テスト的には「改善」になってしまいました。
さらに、日々の暮らしの中では、足の衰えを自ら自覚し、少しでも動こう、歩こうという意思や行為が強くなりました。
なんでも試してみるものですね。

No.9

ご近所で、親が同じデイサービスを利用している方から、「ショートスティへ行ってもらいたいんだけど、なんだか罪悪感を感じてしまって…」というため息を聞きました。一人で介護の負担を精神的・肉体的に抱え込み、はたで見ていても大変だろうなと感じていました。

その方のお義母さんは、月曜日から土曜日まで、毎日デイサービスへ通っていました。デイサービスは、朝の9時頃にお迎えがきて、夕方の4時ごろに帰ってきます。日中は介護がない…とはいうものの、午前中に家事を片づけ、昼食をとってホッとしたらもう帰ってくる時間を気にしなくてはいけないのが実情で、とても「のんびり」とか「自由」とか「自分のための時間」などと感じる余裕はありません。

毎朝、お義母さんと一人一匹ずつ愛犬を連れて、我が家の前を散歩されるので、よく顔を合わせ、いつしか話をするようになっていました。散歩中には、認知症で介護対象になっているはずのお義母さんの方から、ニコニコ笑いながらあいさつがあり、さらに足腰が弱い母の様子を気遣う言葉が出て、母と同じ介護2とは思えないほどお元気でした。
疲れ切った表情のお嫁さんと、愛犬に引かれて駆け足もできる元気なお義母さんのイキイキとした表情が対称的でした。

「確かに、自分が楽になるから『罪悪感』を感じることもあるかもしれないけど、介護者が心身ともに健康でなきゃ介護される側も気の毒ですよ。少しでもゆとりをもってお義母さんに接するためにも、ショートスティを利用された方がいいんじゃありませんか」と、私は施設の利用を勧めました。母が利用しているショートスティ先を紹介し、たまたまケアマネージャーさんが我が家と同じ人だとわかったので、ケアマネージャーさんにも話をしました。初めての施設利用の時は、お年寄りがひどく不安になるので、知り合いと同じ施設・同じ日に行くのが一番いいと感じたからです。母の時も、誘ってくださる方がいてショートスティを初体験しました。

話があった頃には、その方は、精神的にもう一杯一杯だったのでしょう。ショートステイの経験をさせることなく、すぐに3ヶ月の短期入所で集中的に認知症を改善させる施設にお義母さんを入所させてしまいました。
結果は、お義母さんの精神状態が崩れ、認知症に加えて老人性鬱病にもなり、能面のような無表情になって、散歩の様子も活気がなくなり、あいさつもできず、自閉症のようになってしまいました。「自分が捨てられた」と思いこみ、認知症改善のトレーニングも虐待のように感じられ、すべてを拒否してしまったのです。

「介護から完全に解放される自由」を体験してしまったその方は、「お義母さんがいない日」が絶対に必要になり、心身が壊れてさらに介護が大変になったお義母さんをショートスティへ送るようになりました。「ショートスティへ行かされる」とわかると前夜から泣き叫ぶそうで、当日の朝まで気づかれないように用意し、お義母さんがデイサービスのお迎えの車と勘違いしているうちに、サッと荷物を積み込んで送り出すそうです。

それから、もう二年近くたちました。愛犬を連れての散歩さえできなくなったお義母さんを、日々ディサービスやショートスティへ送り出すために、朝の散歩がなくなり、最近では全く会わなくなってしまいました。
デイサービスでは、その方のお義母さんと母が今も顔を合わせますが「もう、何を話してもわからないみたいよ」と、母もため息をついています。

悪い人は、誰もいないんです。お嫁さんが気遣いを続けた結果、心身の限界になり、自分の休息と義母の認知症の早急な改善を求めた結果、最も望まなかった方向へなだれ込んでしまったようなものです。

母も、決してショートスティが好きではありません。「我が家が一番」なのは、どのお年寄りもいっしょでしょう。毎回、ブツブツと文句をいいます。我が家では、風光明媚な浜名湖の湖畔、緑豊かな山里、日々の楽しみが多い施設とタイプが違う三つの施設と契約し、あきないように、少しでも楽しめるように工夫をし、さらに「人と会うことが大切、知らない人と話すことが勉強、さまざまな施設に慣れておくことがこれからの幸福」と母に言い聞かせ、半ば強制的に送り出します。

人によっては、固定された一箇所の施設を「第二の我が家」のように使うことで安心してくつろげる方もいらっしゃると思いますが、我が家の場合は、物見遊山的な感覚で「季節事の小旅行」のように変化をつけています。母は、「我が家」のように落ち着ける施設に出会っていないのか、同じ施設ではあきてしまうと言います。ショートステイ選びも、その人によって、いろいろ工夫がいるようです。

ショートステイに行ってしまえば、それなりの楽しみを見出し、ハプニングやトラブルを含めた違う日常を受け入れ、さまざまな体験をすることで、脳をリフレッシュさせられるのですが、帰ってくる時にご機嫌とはいきません。「ああ、疲れた、もう行かないからね!」と文句タラタラ。どの施設からの連絡簿にも「みなさんと談笑され、終日楽しくすごされたご様子です」と書かれているのですが…。

 


No.10

時々、ひどい自己嫌悪に陥ることがあります。
「母のため」という口実で、じつは自分のストレスの発散対象として母にぶつかり、「自分のため」に怒鳴っているのではないか、と思うことがあるからです。でも、いくら親を怒鳴ってもスッキリせず、むしろ徒労感と虚脱感だけが残ります。

親子喧嘩や兄弟喧嘩には、他人に対する怒りとは異質の近親憎悪のようなものが含まれ、アッという間に感情的になってしまいます。自分自身でも制御できない「憤怒」に突き動かされることは、実際にあるんです。
認知症の方の面倒をよくみて、かいがいしく介護をしている孝行息子や娘、時には伴侶が、ある瞬間、溜まりきったストレスが大爆発をし、認知症の方を殺害してしまった…などという悲劇がニュースになる時代です。

なぜこんな大切な事を忘れるのか、どうして自分の身にどれほど深く関わっているか理解できないのか…と、悲しくなるほどの思いで怒鳴り続けていたら、「はいはい、もう十分にわかりましたよ。そのくらい怒鳴れば、アンタもすっきりしたでしょう」などど、シラッと返されると、本気でカッとします。「親殺し」はこんな瞬間におきるのだろうと思います。

他日、同じことを、今度はヘルパーさんなど他人を交え、穏やかに、ゆっくり、丁寧に話すチャンスを作るようにも努力しています。第三者がいれば、互いの感情が抑えられ、少しは冷静になれるからです。
そんな時には「○○さんはやさしいわねぇ。こんなに親切に言ってくれたら、私だって理解できるわよ」と母が言い、ヘルパーさんの話に「そうよねぇ、私だって気をつけたいと思っているのよ。なんで忘れるんだろうねぇ」と穏やかに思慮深い様子で応じます。
そんな母に「これから何に気をつけるの?」とやさしく聞くと「エッ、なんの話? 何か気をつけることあるの?」と、母がキョトン。話を理解されたと信じていたヘルパーさんは、ガックリ。

認知症の特徴ですが、話の内容を認知しないで、話の流れの中で会話を続けることは、じつに巧です。「認知症」ではなく「非認知症」とか「不認知症」とかの名称にすべきだと、いつも感じる瞬間です。

ある脳の活性化の調査では、社交的な日常会話の最中は、脳がほとんど働いていないそうです。会話には常套句のような便利な言葉がたくさんあり、脳を使わなくても会話が成立してしまうからのようです。
実際に、重度の認知症の妻を支えている方から「電話でも近所の人との話でも、ものすごくまともな会話をするんですよ。長話も結構するしね。だから、認知症だといっても他人には信じてもらえない事が多くて辛いです」とこぼしていました。会話を終えた瞬間、今の話の内容はもちろん、誰と話をしていたかもわからないのが現実だそうですが。

母も、合いの手のように「ありがとうね、私なんかに気を遣ってくれて」と入れるのが十八番です。真意は「もういいかげんに黙れ!」なんですが。同じように「良かったね」「そうだね」「悪かったよ」「気をつけるよ」「うれしいね」「よくわかったよ」など、10ぐらいの言葉を、じつに臨機応変に使い分け、スムーズに会話をつなぎます。それに、相手がいった言葉をオウム返しに付け加えれば、かなり本格的な「会話」が成立します。

いくら「空っぽの会話」を非難しても、実はしかたがない事なんです。
長年、そういう会話で暮らしてきた習い性のようなものだからです。実際に、井戸端会議や道すがらの立ち話などは、空っぽの会話で聞き流せるから成立するようなものです。そんな会話の全てが議論・討論になってしまったら、疲れてしまってとても近所付き合いなどできません。
でも、「空っぽの会話」しかできない事は、大きな問題です。

80歳になって認知症進行中の母に「中身がある会話」を求めるむなさしを痛感しつつ、それでも「理解力」「思考力」のサビを落とさないと認知症が進むだけだと、朝晩に言い続けています。少しでも「自分で考えなくては!」という意識を母のアタマに残したいばっかりに。
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