ダムバダルジャー
ダムバダルジャーは、旧日本人墓地で、今は記念塔になっている公園です。7月には皇太子殿下が訪問されると言うことで、花が植えられ、道の補修がなされていました。この墓地はノモンハン事件で亡くなった日本兵の為に作られたものです。
ノモンハン事件概要
1939年、5月12日、それまで満州国とモンゴル国国境付近(満州国はハルハ河、モンゴル国はノモンハンと主張)での小競り合いから、戦闘になった。6月から9月にかけての戦闘ではソ連軍の参戦により、日本軍は完膚なきまで叩きのめされた。戦死者および行方不明者8300名。その後、捕虜となってこの地で亡くなった人を合わせると18000人余となる。
戦争はむごいものです。そのむごさを正しく伝えてこそ、戦争の抑止になるのではないのでしょうか。折りしも高等学校の教科書で沖縄戦の集団自決に、日本軍が関わったことがあるのかと、文部科学省の検定で問題になっています。
世の中の常で、やったほうは、自分の行為を過小に評価し、忘れていきます。やられたほうは、決して忘れることはないでしょう。
以前シンガポールの血債の塔を訪ねた時、塔の足元にこんな石版が嵌められていました。あの大戦で日本軍が何をしたか知らずに私は今日まで来ました。
モンゴルにおいても亡くなった日本兵の遺体は長く放置されてきました。モンゴルにとっては、自国を侵 攻した、敵の人間です。しかし、赤十字の世話で遺骨がこの地に集められ、火葬に付され日本に返されました。そしてここに記念塔がたてられました。
戦争のためとはいえ、自分たちを苦しめた日本軍のためにこのような場所を提供してくださったこの国に感謝しました。
もちろんODAなどで日本政府は特別の配慮をしていると思います。でも、この記念塔を守ってくださっているのは、ODAとは関係のないおじさんでした。
この広場は音が良く響きます。「千の風になって」をみんなで歌ったら、気持ちよかっただろうなと今思います。日本の遺族会などが、ここに桜を植え、周りに色々な木を植えて、この丘の地すべりを防ごうと言う計画があると聞きました。
モンゴルの旅が終わりました。いろいろな方と出会い、知らなかった歴史や文化を垣間見ることができた楽しい旅でした。体が動き、好奇心が失せない間は、旅を続けたいと思います。お付き合いありがとうございました。
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