【その4】
英国の生物学者チャールズ・ダーウィン(1809〜1882年)が、『The Origin of Species』(初版)を著し、生物進化の説を公にしたのは、1859年11月24日のことでした。そして、このダーウィンの進化論を、丘浅次郎が『種の起源』と命名・翻訳して、『動物学雑誌』に論文を発表したのは、その丁度、40年後の1899年(明治32年)であることが、最近の私たちの研究で明らかになりました。
また、昨年、丘のドイツ留学中の貴重な史料を、留学先であったフライブルグ大学、ライプチヒ大学の御好意により提供して頂くことも出来ました。丘は、東京帝大卒業後の明治24年から3年間のドイツ留学において、ドクトルの学位試験で、論文も口答試験も「Summa cum laude」という最高等の評語をもって合格し、すでに留学中にドイツ、イギリスなどの専門雑誌に研究論文を発表していたことが分かりました。さらに、知られざる丘の家系の足跡、丘の思想の現代における普遍的価値、『種の起源』邦訳の謎の解明などについての研究成果をまとめ、現在、私たちは著書の刊行に向けて努力しています。
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『中等教育 動物教科書』昭和8年7月発行 訂正11版(左)
※明治45年1月 第1版発行
『近世 動物学教科書』明治34年2月修正発行版 第2版(右)
※明治32年11月発行 第1版
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丘浅次郎は、明治から昭和初期にかけて多くの教科書を執筆し、我が国の生物学の先駆的役割を果たした人物でありますが、また、進化論をもとにした社会文明批評は、日本のみならず魯迅(ろじん)などのアジア人留学生にも大きな影響を与えたと言われています。
それでは、丘の社会文明批評をもとに、東日本大震災に関連して徒然なるままに記したことを御紹介しましょう。
2011年3月11日に発生した想像を超える規模の巨大地震は、一瞬にして、すべてを破壊し、人類が築いてきた文明の利器の無力さを露呈しました。さらに、大津波は高度な科学技術の証であった原子力発電所を襲い、日本人に放射能汚染という嘗(かつ)てないほどの試練を課しました。人々が当たり前のことのように恩恵に浴してきた電力という文明の象徴が、実はひとたび事故に見舞われれば、制御不能となる魔物であることを思い知らされました。
丘は関東大震災後の大正12年11月、「子孫を愍(あわれ)む」(※『猿の群れから共和国まで』)という文の中で、次のように述べています。
「このたびの地震や火事をもって天譴(てんけん)であると説く人があり、・・・人間が近ごろあまり調子に乗って贅沢になり過ぎ、世間一統が軽佻浮薄になったので、天がその非を悟らしめるために地震と火事とで譴(しか)ったのである。しかし、かような考え方は地球をもって宇宙の中心とし、人間をもって万物の中心とし、かつ人間と同じような喜怒哀楽の情を持った、しかも無色透明の瓦斯(ガス)体の生物が空中に住んでいるごとくに考えていた昔の思想の残り物であって、・・・20世紀の今日の世の中にはとうてい通用すべきものではない。」
いつの時代でも天地災害を天罰であると述べる人がいますが、これはその地域に住む人々に対し、甚だ失礼な暴言であり、自然が公平無私であることは明白な事実です。
また、日本は唯一の被爆国として、原子力の恐怖を他国よりも深く認識していたはずであり、地震・津波などに対しても、当然、最悪の事態を想定し、原発の安全対策がなされていると誰しも信じていました。しかし、「原発は安全だ」「地震の対策は万全だ」との安全神話を流布(るふ)してきた電力会社や国家は、人々に正しい知識を伝えることを怠り、ひとたび事故が起これば「想定外」との言い訳を繰り返すのみでした。自然の脅威を考量せず、低コストで二酸化炭素削減の切り札との原発の利点のみに心を奪われ、電力会社のみならず国を挙げて推進してきた原発の安全対策は、根拠を欠いた神話に過ぎなかったといえましょう。「人間はミスを犯すものだ」という観念を欠いた日本の原発事故は、自然災害というより人災である側面が大きく、この点においても自然災害の裏に潜む人間社会の奢(おご)りを示唆した丘の言葉の意味は深く、考えさせられるものがあります。
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『猿の群れから共和国まで』
大正15年5月 第1刷発行 の共立社版
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「自然の復讐の最もはげしく最も残酷なのは、人間の社会生活の不条理なる点に起因するものである。これは人類の征服に対しての直接の復讐というよりも、むしろ人間の社会制度の欠点につけ込んで自然が行う間接の復讐と言うべきもので、社会の制度が今日のままに続く限りは、とうてい防ぐことはできぬ。自然には他の欠点につけ込むなどという人間らしい性質はむろんあるわけではない。落花心ありというのは見る人の心で、流水情ありというのも眺める人の情である。花自身、水自身にはもとより心もなく情もない。ただ自然は公平無私である代わりに冷淡無情である。」
〔※『煩悶(はんもん)と自由』より、「1 自然の復讐(明治44年11月)」〕
今回の津波は、水の破壊力の凄まじさを見せつけた反面、水は現代社会の生命線であり、水を絶たれて初めてその有難さを思い知らされました。これは、津波に襲われた原発においても然りといえましょう。水によって破壊された原発が、唯一救済を求めたものは、冷温停止という水による救いであったことは、なんと皮肉なことではありませんか。
くしくも、この度の地震が教えてくれたものは、自然の脅威と自然の恩恵に対する私たち現代人の認識の甘さでした。
思うに歴史を顧みれば、我が国は天災、とりわけ地震・津波とは切っても切れない縁を持つ土地柄ですが、専門家と称する人々は日本列島周辺の大地変動の長い歴史を考慮に入れず、過去の短い期間のデータから地震と津波を予測し、日本においてマグニチュード9.0という大地震が起こるとは想定しませんでした。
21世紀の今日、人類は嘗てないほどの高度な技術を獲得し、エアコンの普及により夏の暑さも冬の寒さも克服して、大都会は不夜城のごとく灯りが点(とも)されています。また、大都市の地下は鉄道や地下街がどこまでも深く延び、地上では空に向かって、高層ビルや塔が、天に挑むかのように林立し、さらに眼を転ずれば、臨海の埋め立て地には、石油コンビナート等の施設が犇(ひしめ)き合っています。まさに、丘が言うように、大地震などの自然災害は、すべて我が知力によって克服したかのごとき有様と言えましょう。
しかし、日本列島の地下に潜む地震という怪物は、いつどこで牙をむいても不思議ではないと言われていますが、現代は過去と同じ規模の地震であったとしても、便利さを追求した文明の利器が、かえって諸刃の剣と化して、甚大な被害を与えることも想定されます。
そのことを考えれば、すべての機能を大都市に集中させた日本の安全対策は、果たして万全であるや否や・・・。
丘は言う。
「昔はなくてすんだ問題が今は無数に現われ、しかもいずれの問題も時とともにますます複雑になって、いつ片付くことやら少しも見込みが立たぬ。これらの問題はみな声を励まして、『オイ、人間、貴様はこれでもまだ、自分は万物の霊で、急速力をもって天に昇りつつありとの夢から覚めぬのか』と怒鳴りながらしきりに人類を揺り動かしているのである。かく揺られながらいっこう平気で夢を見続けている人間は、実はあきれはてた寝坊と言わねばならぬ。」
〔※『煩悶と自由』より、「8 煩悶の時代(大正8年11月)」〕
これは、人類への警告であると同時に、まさに今日の日本社会に対する戒めであると言えるのではないでしょうか。
私たちは、今、これまでの文明のあり方を問われていますが、科学の可能性や文明の進歩を怖れてはいけません。怖れるべきものは、私たちの心の中に潜む慢心と怠惰、奢りです。人類の進歩は、「原子力の火の獲得」という新たな時代を迎えましたが、人類の叡智がパンドラの箱の中の絶望ではなく、「希望の火」に繋(つな)げることができるであろうことを祈らずにはいられません。
では、次回をお楽しみに! |