3回 水無月

 水無月とは6月のことですが、京都には6月30日に食べる「水無月」というお菓子があります。最近では5月半ば頃からあちこちの和菓子屋さんで「水無月」と書かれた貼り紙やのぼりが見られ、初夏の風物詩となっています。

「水無月」は、外郎生地(上新粉つまり米粉や、小麦粉と砂糖を混ぜて蒸しあげたもの)の上に小豆の粒を敷き詰めてさらに蒸し、三角形に切ってあります。三角形は氷を表しています。

旧暦6月は現在の7月くらい、炎天が続き、水涸れのする盛夏の月でした。旧暦6月1日は「氷室の節会」といい、御所では冬のうちに貯蔵しておいた氷室の氷を取り寄せ、口にすると夏やせしないということで、臣下に分かち与えていました。

 もう一つの説としては、「夏越しの祓え」の神事に使う御幣の形を模しているというのもあります。上に乗っている小豆は古来より邪気を祓うと信じられていました。

 余談ですが、外郎というと浜松では名古屋のういろうを思い浮かべる方がいらっしゃるかもしれませんが、全く違います。名古屋のは真空パックになっているせいか、ぼそぼそしますね。名古屋の方がいらしたらごめんなさい。

 さて「夏越しの祓え」は平安時代の記録にも残る古い行事です。暑さが厳しく、病も流行りやすいこの時期、そしてちょうど1年の半分が終わる6月の末日に厄祓いを願い、残り半年の無病息災を祈願する神事が今でもいくつかの神社で行われます。

 私も浜松にいた頃、近所の八幡宮より紙の人形(ひとがた)が町内会を通して配られ、全身をなでて納めておりました。京都に来て、右京区に住んでいた頃は車折(くるまざき)神社の茅の輪をくぐりに行ったこともあります。鳥居の内側にすっぽり入るくらいの大きな茅の輪です。茅(かや、ちがや)は昔からその旺盛な生命力によって災厄を除く神秘的な威力を持つと考えられていました。これにちなんで、「夏越しの祓え」には茅の輪をくぐって厄を逃れる神事が連綿と受け継がれているのです。

 さて、お菓子の「水無月」ですが、どこが最初に作り始めたのかは調べてもわかりませんでした。京都の庶民が暑気払いにと6月30日に食べるようになったのは、6月1日の氷室の節会と30日の夏越しの祓えを結びつけ、菓子屋が考案したものという文献を見つけました。土用の鰻と同じですね。

 普通は氷に見立て外郎生地は白いのですが、黒糖で作り始めたのは御所の南向かい、丸太町通りに面した「亀屋廣永」さんということで、今回久しぶりにお店に行って来ました。

 最近では、抹茶入りの生地に小豆、または青エンドウ豆を乗せたものもあります。この抹茶水無月は、宇治平等院への参道口にある宇治駿河屋さんのものが絶品です。さすが茶どころ宇治、茶団子で有名なお店だけのことはあります。毎年、6月末の1週間京都大丸に出店するのですが、今年はなぜか6月初頭に来ていました。うれしくて、3回も買いに行ってしまいました。どこにもないニッキ入りのがあったのも魅力でした。

 6月30日には、和菓子屋さんで水無月を買い求める人が長蛇の列になります。「これを食べへんと夏を越せへん」ということです。そして、7月1日からはいよいよ祇園祭が始まります。



参考文献 浅田ひろみ「水無月考」『和菓子』9(2002)

(2013.6.26記)

 

 

回 ちまきと川端道喜

 京都のことをあれこれ語るのに、私の大好きな和菓子をテーマにして書いていこうと思います。

 前回、京都御所出入りの川端道喜について少し触れましたがこの川端道喜という菓子屋は1503年頃の創業、室町時代より御所に行事の為の餅やちまきを納めてきた老舗の中の老舗です。応仁の乱の後、都は荒廃し、朝廷のご難渋は召し上がりものにも事欠くほどで、その時、道喜が毎朝献上した餅は「御朝物(おあさのもの)」と呼ばれ、明治維新まで350年もの間「朝餉(あさがれい)の儀」として続いたというのですから驚きます。詳しいことは15代目川端道喜が岩波新書『和菓子の京都』(1990)に書いています。

 昨年末、ひょんなことから16代目の奥様と知り合う機会があり、その御朝物を何年か前に姑である15代目夫人とともに再現した話を伺いました。搗き餅を芯にして、外を塩味の小豆の潰し餡で丸め、野球のボールより少し大きめの形にしたもので、後々は砂糖を少し敷いて、召し上がったと伝えられているそうです。正親町(おおぎまち)天皇くらいまでは召し上がっていたようですが、後水尾天皇の頃には江戸時代になり、幕府から財政援助もあり、もうただご覧になるだけになったようです。ところで、この16代目の奥様は日本画家で、秋野不矩さんとも関わりがあったとのことです。なにかご縁を感じました。

 350年間毎朝6個ずつ届けた御所の出入り口は通称「道喜門」と呼ばれ、紫宸殿の真正面「建礼門」のすぐ東側に今でもあります。1月のしらはぎ会京都旅行のとき、確認して参りましたが、京都御所のパンフレットには「穴門」と小さく書かれていました。

 

 さて、その道喜のちまきです。店ののれんには「御ちまき司 どうき」と染め抜かれています。「御」という字をつけるのは禁裏御用という意味あいで、つまり江戸時代までは御所御用ということでした。よく「御用達」(関東ではごようたし、関西ではごようたつ)という言葉を聞きますが、これは明治以降の用語だそうです。
 ちまきのルーツは中国の屈原の故事にあるようです。日本には奈良時代、仏教と相前後して五節句の節物(せちもの)として渡来したといわれています。いつ頃から食するようになったかは不明ですが、京都ではちまきといえば厄除け祈願と結びつけられています。祇園祭の時、各鉾町で売っているちまきを求めて、家々の玄関先にぶら下げる風習があります。ちまきを巻く笹の防菌作用に由来しているのでしょうか。

 

 道喜のちまきは吉野葛を練って作った半透明の白い「水仙粽」、それに漉し餡を練り込んだ「羊羹粽」の2種類でどちらも味は淡泊で上品です。1本のちまきに笹を4,5枚使いきっちりと包み、藺草(いぐさ)の殻で巻き締め5本を1つに束ねて、熱湯のぐらぐら煮立っている中へ放り込みます。湯がくことによって、糖分が適度に抜けて、ほどよい甘さになるのだそうです。笹も熱湯をくぐらすことで落ち着いた色合いになります。随分前から良質の笹や吉野葛が入手しづらくなり、材料の確保に苦労されているとのことです。
 念のため申し添えますが、祇園祭の時に鉾町で売られている厄除けちまきは食べられません。

 現在の川端道喜はかつての御所近くから何度か居を移し、下鴨本通り北山南西角にあります。5月と7月は一月前までに予約が必要です。ただ、最近は京都高島屋の地下で曜日によっては買うことができます。
 ちなみにお値段はそれぞれ5本1束で3900円です。これはかなり勇気のいるお買い物ですね。

(2013.5.29記)

 

 

回 京都御所

 私が京都で暮らし始めたのは1977(昭和52)年でしたので、かれこれ36年になります。18歳まで浜松で育ち、浜松人として完成した私は京都での生活が倍になりましたが心身ともに浜松人のままで、ここでは相変わらずよそ者です。冷や汗をかきながら生活をしてきましたが恥をかいていると気づいたのも10年位経ってからでした。
 そんな私が感じた京都をつづってみようと思います。

 第1回は恐れ多くも「京都御所」についてです。というのも先日1月22日、しらはぎ会京都旅行で見学し、記憶も新しいところ、この4月13日にある集まりで宮内庁京都御所事務所長の北啓太氏の講演「京都御所~その歴史から」を聞く機会に恵まれたからです。
 北氏は宮内庁書陵部に勤務され、皇室制度の歴史的研究をされていて、宮内庁正倉院事務所長を経て、平成20年より現職に就かれたとのことです。

 先の拙文、「京都旅行を終えて」に書いたとおり、現在の京都御所は明治2年まで歴代の天皇がお住まいになった内裏ですが、桓武天皇が平安京に遷都された場所はもっと西、現在の千本通がかつての朱雀大路に当たります。
 内裏は何度も火災に遭い、その度に再建されますがその間天皇は貴族の邸宅などを仮皇居に充て、これを里内裏と呼ぶようになりました。現在の京都御所は土御門東洞院殿(つちみかどひがしのとういんどの)と言われる里内裏のひとつで平安末期以降用いられ、明治2年まで皇居とされました。

 ここで、高校の古典の授業を思い出しましたが、藤原道長の邸宅を土御門殿と言いましたね。中宮彰子はここから入内し、敦成親王(後一条天皇)、敦良親王(後朱雀天皇)を出産したのもこの邸、道長の3女威子が後一条天皇の中宮となり、その立后の祝宴の時に道長が「この世をばわが世とぞ思ふ望月のかけたることもなしと思へば」と歌ったのもこの邸です。つまりここも別の里内裏で現京都御所のすぐ近くにあったようです。

 平安京の地図を見てみますと、一条大路と近衞大路の間に土御門大路があります。現在の京都では土御門通というのは存在しませんが一条通、近衞通はそのままあります。藤原摂関家の筆頭である近衞家がこの近衞通に邸があったからそう呼ばれる様になったのは言うまでもありません。

 さて、北氏のお話で驚いたことには、武士の時代には皇后や皇太子もおらず、その初期には即位式が何年も経ってから行われたり、崩御の際の葬式すら行われなかったとのことです。それほど貧窮していたのですね。

 もう一つ意外だったお話は、崇徳天皇、安徳天皇、順徳天皇と徳がつく天皇は京都以外の地で非業の死を遂げたのだそうです。

 都の雅なお話とは程遠いことばかり書いてしまいました。次回は「応仁の乱」の頃、とくに御所の財政が逼迫していた頃、天皇に毎朝「御朝物(おあさのもの)」と称する朝の餅を届け続けた「川端道喜」という和菓子屋さんのことを書きたいと思います。

(2013.4.17記)

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