11回 桜と花筏

私が京都に来て最初に感動した桜は、円山公園の枝垂れ桜でした。今まで見たことのなかった圧倒的な存在感で大きく枝を広げた姿は見事でした。この祇園枝垂れ桜は京都の桜守として有名な佐野藤右衛門さんの先代が育てたことで知られています。単純な私はこの桜が見られれば幸せで、毎年円山公園に会いに行くという気持ちで花見に出かけていました。

佐野藤右衛門さんは京都の西、嵯峨野の広沢池の近くで造園業を営む方で、現当主は16代目です。具合の悪い桜があると聞けば、全国、世界のどこへでも飛んでゆき、治す桜守としては3代目ということです。
 以前、私は佐野さんのお宅から自転車で10分くらいのところに住んでいました。近所の人から「桜の頃に藤右衛門さんは自宅を開放して、何万本もの桜を無料で見せてくれる」と聞いたことがありました。15年もその地にいたのですが機会がなく、一度たまたま、しらはぎ会の後輩が同じマンションにいた時、一緒にサイクリングをしていて、広沢池のほとりの広大な庭のあるお宅に迷い込んだことがありました。そこが藤右衛門さんのお宅でした。
 知り尽くした桜人が語るのは「桜を見るなら、朝方の露が残っている頃、夕暮れ、夜桜がいい。知ってるかいな、桜の花は下を向いて咲くんや。木の下で寝っ転がると桜の精が腕を広げて包んでくれる。」
 しかしながら、祇園枝垂れ桜はもう20年近く前から様子が変わり、枯れ枝が目立ち、花の数も減りどうも弱っているとしか思えなくなりました。木の廻りには柵が巡らされていますが、桜の木の根っこは木の高さの何倍も広く張っているので、人間がその上を踏むと樹勢が衰えると聞いたことがあります。夜になるとブルーシートを敷いて宴会が行われていましたから、飲食物も地面から吸い込み、桜のためにはよくなかったのかもしれません。それで、1年ぶりに会いに行っても却ってかわいそうな気持ちになり、ある時期から行くのをやめてしまいました。


ちょうどその頃、山科に引っ越し、近くに醍醐寺があるということで出かけたところ、霊宝館の奥に見事な枝垂れ桜があるのを知りました(写真上)。醍醐寺は太閤秀吉が豪勢な花見をしたことで有名です。醍醐寺にはもうひとつ、美しい庭園を持つ三宝院があり、門を入ってすぐのところに土牛桜と呼ばれる枝垂れ桜があります。これは日本画家の奥村土牛が描いて有名になったので、この名がついています。その絵は東京広尾の山種美術館が所蔵していて、切手にもなっています。今年、久しぶりに土牛桜を見たら、かつてより枝を延ばし、支える柱が随分増えていると思いました。そこで、枝の下から花を見上げることができました。それでも私はやはり霊宝館の奥の方にある枝垂れ桜が一番好きです。近づけないように柵はありますが、気品に満ちて堂々と枝を横に張り巡らし、咲き誇る姿を見ると「これ以上なにをお望みですか」と言っているように感じます。さらに、霊宝館の中に入りガラス張りのサンルームで、この枝垂れ桜を背面から見ることができるのもうれしいことです。ここの椅子に腰掛けて、また違う角度からしばらく眺め、「ああ、今年のお花見もよかった」と帰路につくのです。実は見頃の桜を見られたのは通い初めて何年も経ってからでして、近くに住んでいても遅すぎたり早すぎたりで、なかなかほぼ満開という機会には恵まれませんでした。

さて、桜にちなんだお菓子は沢山あり何を選ぼうかと随分迷いました。そんなとき、洛北に所用があり北山から地下鉄に乗ろうとして、川端道喜の前を通りかかり、貼り紙を見ますと「4月12、13日、花筏」と書いてありました。道喜は週末に1種類だけ一般に予約販売しているので、このような貼り紙を店先に掲示しています。先代の道喜の著書『和菓子の京都』にもイラストが載っていて、長年写真でしか見たことのなかった薄紫色の細長い花筏(はないかだ)を思い出し、早速注文しました。12日に受け取りに行きまして、店主知嘉子さんと少しお話しました。花筏は水面に散った花びらが帯状に連なって流れていくのを筏に見立てているとのことです。私が想像した、川を流れる筏に桜の花びらが散っている様子ではないそうです。
 裏千家の大切な行事である3月28日の利休忌には主菓子として、必ず道喜の「花筏」が使われることは帰宅してから知りました。
 そこで、東京で裏千家の師匠をしている友人に尋ねてみました。「筏に花一輪と散った花びら、という意匠はお茶道具の棗(なつめ)や炉縁(ろぶち、釜を掛ける炉の廻りの木枠)に蒔絵を施したり、着物の文様に使われたりして、風流な図柄です。しかし、利休忌の主菓子としての花筏は散っていく、去っていく、という花びらの固まりが流れていくイメージと結びついたのではないか」ということでした。大変納得できる説明でした。
 箱から取り出した「花筏」は、落ち着いた桜色の餅につつまれて漉し餡がところどころ透けて見え、ほのかな薄紫色となって、桜の焼き印が両端に二つ。想像していたよりも長く、立派でした。なめらかな漉し餡とやわらかい餅の感触が絶品でした。

と、その時ふと思ったのですが、利休は秀吉の命で切腹させられることになりました。それも桜の季節に。秀吉の醍醐の花見はその7年後ですが、私が今、もっとも美しいと感じている醍醐の桜と「花筏」 の取り合わせはあまりにも皮肉ではありませんか。
 私はよく晴れた青空(浜松のあの空です)に映える桜が好きなので、昼間の花見を好みます。ライトアップされた夜桜は幻想的で惹かれますが、なにか妖気を感じてしまいます。満開の桜の下では人を狂わすとか、桜の木の下には何かが埋まっているとかを想像してしまうのです。ましてや、寝ころんで花を見上げるなんて恐ろしいことはとてもできません。


参考文献
別冊家庭画報『家庭画報の京都』世界文化社 2007

(2014.4.14記)

 
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