回 川端道喜の「御菱葩餅(おんひしはなびらもち)」

近年、お正月のお菓子として知られるようになった「はなびら餅」。柔らかいお餅から薄いピンク色が透けて、ごぼうが2本はみ出しています。その姿はそれだけで特別なお菓子という雰囲気を醸し出しています。今回はこの「はなびら餅」について書いてみます。
 私が初めて出会ったのは東京での学生時代、友人に誘われて習い始めたお茶が裏千家でしたので、初釜のときでした。でも、この時のことは全く覚えていません。

シリーズ第2回で粽の川端道喜が室町後期より、御所に餅を納めていたことを書きました。道喜といえば、粽と裏千家の初釜で使われるお菓子「はなびら餅」が有名ですが、そもそもの始まりはどんなものだったのでしょうか。
 これは道喜がお正月の鏡餅を調進して御所に納入した「正月御居御鏡餅(しょうがつおなりおかがみもち)に由来があります。それは紅白の鏡餅の上に葩(はなびら)という薄い丸餅が12枚、赤い小豆汁で染めた菱形の餅が12枚乗っています。これを菱葩といいます。その上から海藻のほんだわらを左右に垂らし、串柿二本を乗せ、一番上には伊勢エビを乗せるというたいそう高さのあるものでした(写真下)。
 その鏡餅の中に一部分使われている葩という薄い餅(赤い鏡餅の上に見える)が、今も葩餅として伝わっているもので、これはもともと宮中雑煮、つまり1月元旦の雉酒(きじざけ)の具として使われてきたものです。雉酒というのは、雉の肉をこんがりと焼いた中へ熱い酒を注いだものです。
 雑煮というので、私はぐらぐらと煮炊きする雑煮と思っていましたが、宮中雑煮は汁のない「包み雑煮」というものです。薄い丸餅の葩の上に赤い菱餅を乗せて、鮎を二匹並べ、京都ですから白味噌を塗って年賀参内の公家百官をはじめ、雑色といった警護にあたる役人にいたるまで、これが配られました。鮎はいつしかゴボウに代わったということです。その場で食べるにしても、持って帰るにしても、自由に折りたたんで食べていたようです。
 次に「葩餅」が裏千家の初釜に使われるようになった由来です。裏千家11世玄々斎が幕末慶応元年の八朔(8月1日)と、明けて慶応2年正月に、宮中に呼ばれ献茶し、正月恩賜の葩餅を御所より持ち帰りました。それ以降、恒例の献茶となり、明治3年天皇東行後、宮中献茶を記念して玄々斎宗匠は道喜に初釜用「御菱葩」の創作を依頼しました。第12代道喜が試行の末に現在の製法を編み出し、調進しました。これが各地で正月のお菓子として製造されている様々な「はなびら餅」のおこりです。
 なお、葩餅のはなびらは円形に抽象化されています。平安から後は花といえば桜をさすのですが、葩は梅のはなびらに見立てたと道喜では昔から言われているそうです。

さて、作り方です。外側の餅は元々搗(つ)き餅でしたが、茶道のお菓子としてはお腹にもたれるので、餅粉という糯米(もちごめ)の粉を少量の砂糖で溶いて蒸し上げ、それを麺棒でできるだけ薄くのばしたものになりました。水飴を入れた求肥(ぎゅうひ)はいつまでも固くならないのですが、そうすると味が餅から遠のいてしまうため、道喜では水飴を入れません。同じ手法で、赤い餅皮を作り、菱形に切り、それを付着させます。
 次にごぼうです。ごぼうの皮をきれいに洗ってむき、寸法に切り、最低4、5時間ふかしあげます。それから1本1本スライスします。
 それと並行して味噌を炊きます。非常に焦げやすいので、相当長時間の湯煎炊きをします。仕上げは直火にかけ、ごく限られた時間で炊きあげます。その味噌餡を一昼夜寝かせます。
 これらはほとんど同時進行でいかないと、葩の白い餅、または菱餅が固くなり互いにつかないし、後で破れる原因となるわけです。そのようなわけで、家族だけで作っている道喜の1月は不眠不休、もう戦場みたいなものだそうです。

それではいよいよ、食べ方です。黒文字でスパッと切ったら、味噌が流れますし、食べるのにも四苦八苦します。「御懐紙に包んで、端を少し折り曲げて、口元を隠して、そのままかぶって食べるのが失敗の少ない召し上がり方です」と先代の道喜のご主人が語っています。第3回で紹介した、竹筒入り水羊羹みたいにコツがいりますね。

昨年末、第7回で取り上げた、道喜の「試みの餅」を前年につづき入手することができました。12月28日に受け取りに行きますと、ちょうど16代目夫人の知嘉子さんが仕事の真最中でしたが、麺棒を手に出てきてくださいました。第2回の稿で触れた通り彼女は画家で、1年前の個展でお目にかかって以来です。ご挨拶もそこそこにすぐに仕事に戻られましたが、蒸し上がった餅をまさに薄く丸く延ばそうというところでした。
 上の写真がその「試みの餅」です。とても大きいのです。ふつうの「はなびら餅」に比べると1、5倍はあります。計ったら12センチありました。そしてごぼうははみ出していません。お餅のなかに収まっています。これが「御菱葩」をはばかって少し形を変えているということでしょうか。 

1月7日から裏千家のお家元では初釜式が始まります。毎年7日の夕刊には「今日庵」での初釜のことが写真とともに掲載されます。1年前、知嘉子さんに伺ったお話では「2月の初旬まで、眠る間もないほど作り続ける。夜中の2時3時にごぼうの皮むきをしている人なんて、日本中探しても私ひとりやろと思ったら、なにか笑えてくるわ」との言葉には絶句してしまいました。
 そのお味ですが、それはもう、最高の材料を使って作られた究極のお菓子と言ってしまってはあまりにも軽くなってしまいます。う~んとうなって言葉が出ません。幸せが口のなかに広がるとしか言いようがありません。

道喜が作る他のお茶のお菓子は意外なほど控えめです。いただいた時につくづくそう思いました。それは一服の抹茶をひきたてるためのもので、決して自己主張しない。後で味わうお茶が主であるという分をわきまえているのです。
 一方、京都にはいかにも京都らしいと喜ばれそうな、雅で華やか、はんなりとしたそんなお菓子がたくさんあります。
 蛇足ですが「はんなり」という言葉は「花あり」から来ているそうで、間違った使い方をされることが多いので、念のため書き添えますと、「華やかでぱっと明るい様子、鮮やかな、明るくはっきりとした」という意味です。花街から出た言葉のようです。
 「ほのかな灯りのお茶席で他の茶道具同様、目立ちすぎないようにある道喜のお菓子は、芸術作品のようなお菓子とは違うということをよくわきまえている」とは裏千家宗匠の言葉です。

京都には表千家、武者小路千家のお家元もいらっしゃいますので、そちらでは初釜にどのようなお菓子を使うのか知り合いに聞いてみました。表千家は「常盤饅頭」という白い薯蕷(じょうよ)饅頭で中は緑色の餡です。千年変わらないという松の翠から、白い饅頭に緑色に染めた白小豆を包んだものです。二つに割ると、あたかも雪の積もった松を思わせ、正月の瑞雪にも似た気品のあるお菓子です。京都の友人と千葉県在住の友人二人とも、虎屋の「常盤饅頭」の時と、花びら餅を使う時もあると言っていました。

武者小路千家のお家元に師事している友人の話では、お家元の初釜には、虎屋の「都の春」という銘のお菓子が使われます。「柳は緑、花は紅」という言葉のように、京の春を緑色と紅色で染め分けて表し、小豆餡を芯に使ったきんとん仕上げとのことです。

 初代道喜は茶人の武野紹鴎(じょうおう)から、千利休とともに茶道を学んだといわれており、裏千家と道喜との長いおつきあいはその時から始まりました。500年以上も続いている、奇蹟のようなお店である道喜がこれから先もずっと京都の地で、今のままの上質なお菓子を作り続けていってくださることを願ってやみません。

参考文献
川端道喜 『和菓子の京都』岩波新書1990
別冊家庭画報『家庭画報の京都』世界文化社 2007
鈴木宗康 「京菓子のあゆみ」『京のお菓子』中央公論社 1978

(2014.1.14 記)

 
Copyright © SHIRAHAGIKAI. All rights reserved.