第4回 祇園祭
祇園祭は八坂神社のお祭で、7月1日の吉符入りから31日の夏越の祓えまでの1ヶ月間さまざまな神事や祭事が行われます。八坂神社は京都の中心街、四条通を東に突き当たったところにあります。
私が祇園祭を初めて意識したのは中学2年生の時でした。当時八幡中学校では年に1度、映画鑑賞のために全校生徒を劇場まで連れて行ってくれました。確か、中央劇場までぞろぞろ歩いて「祇園祭」(1968)という映画を見に行きました。中村錦之介主演、岩下志麻、美空ひばり、三船敏郎他オールスター(懐かしい言葉です)が出演し、応仁の乱で中断していた祭を、町衆が結束して復活させようという壮大で面白い映画でした。
さて、祇園祭は17日の山鉾巡行がハイライトとよく言われ、その前夜の宵山、前々夜の宵々山とともに多くの人が繰り出しますが、今回は別の面から、神事としての祇園祭を取り上げてみたいと思います。
祇園祭は疫病退散を祈願した祇園御霊会(ごりょうえ)が始まりです。平安時代初期、都に疫病が大流行しました。当時の人々はこれを怨霊(つまり政治的に失脚して処刑された人の怨み)による祟りととらえ、怨霊が疫神となって猛威をふるっていると考えました。そこで、疫神を鎮めるために平安京の広大な庭園であった神泉苑に、日本の国の数である66の鉾を立てて祭を行い、さらに祇園社から神泉苑に神輿(みこし)を送り、災厄の除去を祈ったのが御霊会です。
3年ほど前、10年来の知り合いの方が、八坂神社の氏子組織の筆頭である「宮本組」の組長であることを新聞記事で知り驚きました。その方は江戸享保年間から続くお菓子屋さんのご主人です。そもそも「宮本組」という言葉すら知らなかったのですが、八坂神社のお膝元、つまり宮本(みやもと)で神社に奉仕する人たちのことで、これも平安時代からあると言うことです。
宮本組が執り行う大切な神事は、まず7月10日の「神輿洗式」です。午前10時に神輿を洗い清める神水を鴨川から汲み上げます。これは鴨川の水の神様をまず神輿に迎え、八坂さんへ奉じることが祇園祭の神事の始まりであるという象徴的で、一番厳粛な神事です。そして夜8時、八坂神社より御祭神の一つである素戔嗚尊(スサノオノミコト)の神輿が四条大橋に担ぎ出され、朝に汲んだ神水がかけられ祓い清められます。このしぶきを浴びると疫病神を祓うことができるということで、橋の上は黒山の人だかりになるそうです。神輿はこの後、八坂神社に戻ります。
15日の宵宮祭で御神霊を遷(うつ)した神輿、中御座(六角形、前述のスサノオノミコト)、東御座(四角形、クシイナダヒメノミコト=スサノオの妻)、西御座(八角形、ヤハシラノミコガミ=夫妻の子供たち)の三基が17日、つまり山鉾巡行のおこなわれた後の夕刻、神幸祭として八坂神社を出発(写真下)、鴨川以西の河原町など氏子区域をそれぞれ別ルートで巡って、同日夜に四条寺町の御旅所に入り安置されるまでを「神輿渡御(みこしとぎょ)」といい、これがもっとも大切な神事です。この巡行で神輿に厄災を拾い集めるのだそうです。
昼間行われる山鉾巡行はこの神輿来訪のためのいわば露払い、お清めのような意味合いがあるわけです。
この神輿渡御(写真右)のとき、神輿を先導して御神宝(神様の装束や剣、琴など)を奉持しているのがまさしく「宮本組」の人たちなのです。そしてその御神宝は神輿とともに四条御旅所に安置されます。24日の還幸祭で神輿が八坂神社にお帰りになる時も、御神宝を持つことを許されているのは古来より「宮本組」だけです。
28日には再び神輿洗いが行われ、祭が無事終了したことを感謝して清められます。
さて、今回のお菓子ですが、先に触れました宮本組組長のお店「鍵善良房」さんの「くずきり」をご紹介します。つるんとした喉ごし、絶妙なコシの強さが身上です。材料は葛と黒糖蜜、そして水のみ。葛を水で溶き、湯煎して冷水にとり、細く切るだけ。それが何のにごりもない透明な氷水の入った独特の容器の中でゆらゆらと泳いでいます。カランカランと涼しげな氷の音をさせながら、黒糖蜜につけていただきます。元々、昭和に入った頃、界隈のお茶屋さんや南座の芝居見物のお客様にデザートとして出前していたのが始まりで、昭和30年代に口づてに評判となり、喫茶室でお出しするようになったそうです。私が京都で暮らし始めて間もない頃、お店の急な階段を上り、こじんまりした部屋でいただいた「くずきり」に感動したことをよく覚えています。
この冗談のような猛暑の京都にいると、「祇園祭」の見物に行く元気はありませんが「くずきり」は食べに行きたくなります。
(2013.7.12記) |