「ダーウィン邦訳の起源」の続編 その2
24回 幡鎌 さち江
 

 平成27年3月29日、30日に、桜の奈良、京都に行ってまいりました。
 29日早朝、24回の後藤佳子さんが東京から乗った新幹線「ひかり」に、浜松から乗車の私と車内で待ち合わせ。いざ、奈良、京都に出発! 紅葉のころと同様、桜の季節で大変でしたが、またまた、今回の旅の立役者である頼もしい25回の堀川佐江子さんの御尽力により、「雅な古都での素敵な再会の旅」が始まりました。

 午前10時ごろ、京都駅近くのホテルにチェックイン。荷物を預けて、小雨の中、京都駅から近鉄特急に乗車すると、別々の電車で向かうはずであった堀川さんが、私たちの乗った特急の車内で、突如、目の前に現れ、再びサプライズの演出!
 「しらはぎ会」の麗しい頼もしい友情に感激!
 近鉄奈良駅は、あいにくのドシャ降りの雨にも拘わらず、知事選の立会演説を聞く聴衆で大変な混雑! 私たちは堀川さんの御案内で、優雅に本場の「柿の葉寿司」のランチで一息つくと、一路、タクシーで奈良国立博物館や春日大社近くにある奈良県新公会堂能楽ホールへ! 途中、雨中にもかかわらず、可愛い鹿があちらこちらに……!

 会場の入り口を入ると、昨年、紅葉の京都で御会いした香西先生(※京都大学名誉教授)と堀川さんの旦那様が仲良く御話をされて………!初対面のはずのお二人でしたが……!そして、後から到着した奥様の香西理子様(※「種の起源」命名・翻訳者である動物学者・丘浅次郎博士の御孫様)と、嬉しい再会!

 今回は、堀川さんのお誘いで、御一緒に桜の奈良にて「能」の鑑賞です!
 「第21回 金春(こんぱる)康之演能会」を正面最前列で拝見させて頂きました。
 金春氏は、堀川さんの旦那様の大学時代の御友人!
(※シテ方金春流第79世宗家金春信高氏の勧めにより奈良に転居、7歳で金春欣三師に師事。京都大学、大学院を通じてハイデッガーの哲学にみられる芸術思想を研究され、奈良県立美術館の学芸員を勤め、後に能に専念。2001年、重要無形文化財能楽総合保持者に認定されたというプロフィールの持ち主)

 このたびの曲目は、<桜花をめでる ひとの心のあわれ そして業平(なりひら)と二条后(にじょうのきさき)の人目を忍ぶ恋を語る 花のもと月下の舞 世阿弥と金春禅竹の心を経て改作幽玄化された>といわれる 古能「雲林院(うんりんいん)」!

 幼少の頃から『伊勢物語』に親しんでいる公光(きんみつ)という者が、在原業平と二条后が桜のもとにたたずむ不思議な夢を見たので芦屋から、京の紫野にある雲林院を尋ねるというお話。時は桜の花盛りの頃、公光はその美しさに一枝折り取ろうとすると、老人が現れ、それをとがめますが、2人の問答の後、この地を訪れた理由の夢の話をすると、老人(※実は業平)は、それは『伊勢物語』の奥義を授けようということだから、今宵は木陰に寝て待ちなさいと言って消えていきます。やがて、夢の中に若き業平が現れ、二条后との人目を忍んだ逢瀬の春の闇路をさまよった物語を語り、業平の思いをしみじみと描き出す「序の舞」を舞います。

 能「雲林院」の中で語られていることは、「ひとがひとを思うということの汲み尽くすことのできない美しさです。それは人間が他のいかなる生き物ともちがう人間であろうとするとき、自らのうちに見えてくる、いとおしく美しい心の姿です。これをもし、人の美しさであると言わないとすれば、あなたは美しい人生とはなにかと思ったことはないのですか、人間が人間らしくあるとはなにかを考えたことはないのですか、と問わなければなりません。」と、金春康之氏は「雲林院」を演ぜられるに際し、このように「金春康之後援会会報誌 桃心」の中で述べておられました。なんと素晴らしい人間愛に満ちた言葉では、ありませんか! この解説を心に深く留めながら、能「雲林院」の情愛溢れる幽玄な舞台を拝見いたしました。初めての鑑賞でしたが、クラシック音楽を聴いたときのような高い精神性と共通する能の美学に圧倒され、感動いたしました! 能面は、シテが演じる動きの中で生命を吹き込まれ、人の心の深い内面を映し出すかのように無表情の面(おもて)が甦り、能の静(せい)なる所作は、日常とは異なる夢幻の世界に私を誘(いざな)ってくれました。
 また、昨年紅葉の京都で、初めてお伺い致しました香西様御夫妻のお宅近くの「紫野」ゆかりの地が今回の能の舞台であったことに加え、桜美しい季節に嬉しくも再会できたことに、人の世の不思議な繋がりを感じました。
 なお、先日、香西様から、今もなお、紫野にあるという「雲林院」の御写真を御送り頂きました。そして、「前向きで個性豊かなすばらしい方達の『しらはぎ会』に、御縁をいただけた事 とても光栄に存じます」との嬉しい御言葉まで頂戴いたしました。あらためて御報告させて頂きます。

 さて、話をもどしますと、ドシャ降りであった雨も上がり、夕陽が新緑の木々や桜の花を美しく映し出して、人の心の旅路の余韻を感じさせてくれるような公演終了後、お別れの御挨拶を交わした香西様は私たちより、一足先に帰路につかれました。私たちは、堀川さんを待って、最後のほうで能楽ホールをあとにしましたが、近鉄奈良に着いて乗車する電車の中に、偶然にも香西先生御夫妻がお座りになっておられるのに、ビックリ! 私は御夫妻のお隣に同席させて頂き、再び愉しい御話をお聞かせ願うという栄に浴しました。

 1935年生まれの香西理子様は、4歳からバイオリンを小野アンナ女史(※ロシア人で、ジョン・レノンの奥様のオノ・ヨーコの義理の伯母)に師事されたとのこと。第二次世界大戦中の大変な時節に、バイオリンを学ばれたいきさつなどをお尋ねすることができました。やはり、私たちの推測どおり、世界各国の語学に精通し、ロシア語も堪能であった動物学者の祖父「丘浅次郎」の御紹介によるものとの御話。アンナ女史の夫(※小野俊一氏)の小野家と丘家の御住まいが、すぐ近くで、丘の影響を受けた小野氏は動物学を学ぶためにロシアに渡り、ペテルブルグでアンナ女史に出会って御一緒に帰国したとのこと。
 また理子様の伯母(※丘浅次郎博士の御子息の奥様)は、バイオリニスト・安藤(幸田)幸女史(※幸田露伴の妹)の御令嬢であったなど、「バイオリンを習うこと」が、特別なことでない環境があったようです。そのため、孫たちに丘浅次郎が「バイオリンのお稽古はいかが?」とお勧めになったなど、興味深い御話などをお伺い致しました。
 また、丘直通博士(※理子様の御父様)と国立遺伝学研究所(三島市)で御一緒された私たち北高の恩師・中村明先生(生物)は、ウズラをたくさん飼っていらっしゃって愉しい話をいつも聞かせて下さいますが、香西先生の御父様も、昔、カラスの子供を飼っていたことがあり、非常に賢くよくなついたとの興味深い御話をお伺いするなど、とても愉しい心に残るひと時を過ごさせて頂きました。

 こうして、文化の香り高い、雅な奈良での素敵な1日目が終わりました。

 2日目は、昨日とは打って変わって、春爛漫の暖かな晴天となりました。
 朝、堀川さんとホテルで合流し、円山公園の有名な「しだれ桜」を見にまいりました。
 車中、タクシーの運転手さんが「昨日は、雨の中でも京都市内の同じ場所の桜が時の経過とともに開花がすすみ、夕方になるにつれて、満開近くになっていった」と、大変興味深い話を聞かせてくれました。あたりを見渡せば、1夜が明けて、そこ、かしこで、昨日の「能」の感動覚めやらぬ私たち3人を歓迎するかのごとく咲き誇る古都の桜花の雅な2日目の始まりです。
 八坂神社がある円山公園は、大変な混雑でしたが、「しだれ桜」の前で記念撮影をと、カメラを取り出しているとき、外国人観光客のステキな娘さんが英語で「3人一緒の写真のシャッターを私が押しましょう!」と話しかけてくれ、見事な「しだれ桜」の前での三人揃った記念写真の出来上がり! お返しで彼女のスマホ撮影のシャッターを押してあげましたが、上手く写っていたか、どうか…!?
 八坂神社で参拝した後、紅葉のときも訪れた堀川さんお勧めの本格懐石の店「祇園又吉」で、京懐石に舌鼓を打ちました。大変、美味しゅう御座いました!

 さて次はどこへと思案していたところ、運よく通りがかったタクシーに乗って、人ごみを避けて、祇園から南禅寺、蹴上げを通り、美しい桜を眺めつつ、一路、山科の堀川さんの素敵なマンションにお邪魔することにいたしました。

 玄関を入ると、大きなパネルに、堀川さん筆のすばらしい「書」が私たちをお迎えしてくれました。唐の皇帝・太宗が最もその書を愛したと伝えられる王羲之(おうぎし)の「蘭亭序(らんていじょ)」!
 「曲水の宴」で、酔って書いたといわれる有名な書!
 そのため、何度も後に書き直そうと試みたといわれますが、それ以上の出来栄えの書は、できなかったという逸話が残っています。その時、書かれた「蘭亭序」は、太宗が自らの陵墓に副葬させ、現存しないと言われている幻の書です。堀川さんの書は、俳人の河東碧梧桐(かわひがしへきごとう )が蘭亭序を題材に自らの書体で書いた作品を臨書(※先人の書の書きぶりを真似たもの)したものだそうです。良いものを見せて頂き、ありがとうございました!

 そして、美味しい紅茶と御菓子のおもてなしに、御抹茶まで点(た)てていただいて……!
 桜の季節の混雑と時の経つのも忘れて、話しこむうちに、帰りのタクシーに来てもらえず、急遽、歩いてJR山科駅へ。堀川さんの機転で、乗車の列車の正しい選択のおかげで、新幹線にギリギリで間に合いました! 滑り込み、セーフ!

 最後の最後まで、サプライズの連続でしたが、さすが「しらはぎ会」の麗しい友情に感謝したステキな愉しい旅でした!

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